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2021年04月

さいきんの面白かった読み物ほか


シン・エヴァンゲリオンの感想の感想
https://anond.hatelabo.jp/20210406053210

いやあ、これは感服ですね。最高にクールってやつ。バッサリ切ってる。
特に大事なのは、第2項、第3項ですね。
エヴァンゲリオンは庵野秀明以外の人間も作っている
せめて作品の話をしろ

とても当たり前のことですが、まあ人間、「当たり前」や「普通」のことを見落とし/誤るので、ときどき改めないといけないわけです。

庵野秀明以外が作っているのはとうぜんです。庵野庵野と騒いで、他の人のアイディアが入っていないようにみなすのは冒涜に近い。

作画と画面にかんしては、メンツが当初とは大きく変わりました。本田雄の完全不参加は、ダメージ以外のなにものでもないでしょう。特技監督であった故・増尾昭一も同じく。この2人が欠けてしまった穴はとても大きいですが、なんとか補わないといけなかったはずです。でもまあ、他のスタッフとか語れないでしょう。いや、もっと正確に言うと、語る気がない。語れないし語る気もないから、庵野の私生活とかそういうクダラナイものを、”感想”としてしまっているわけで。



さて、語るところがない/中身がない/内容がないと、幼稚な反駁(欺瞞)しているバカもいるのですが、「第3村」については語らないといけない、シン・エヴァについては。この第3村は、旧劇においても、TV版においても、存在しなかったものであり、鈴原トウジ、相田ケンスケなどが28歳になり、それぞれの活動をしている。トウジは町医者(村医者?)となり、ケンスケはサバイバル班として活動していますよね。委員長に至っては子供を産んで育てて、親と一緒に住んでいる。

つまるところ、この「第3村」は旧劇やTV版との最も大きな差異なわけです。ここを語らずに、ここを考えずして、なーにが「シン・エヴァ」の感想かと思うわけですよ。ぼくやこの増田はね。そこをこの増田はもう的確に批判していますね。素晴らしい。



<ウマ娘アプリ>
美少女化における、ダービーが無価値になってしまったことなどはもう傍に置きましょう。

スキルが最も上手くできてますね。基本システムはパワプロのパクリですが、よく出来ている。「ウイニングポスト」「ダービースタリオン」ができなかったことをやり遂げたのは、素晴らしい。ウイポもいいじゃん、これパクっちまえよ。闘志システムなんてつまんねえもん。

【スキルについて】
(先行○、栄養補給、コーナー○、末脚など)
こういったスキル、つまり、「能力の可視化」が素晴らしいですよね。距離別に分けているのも作り込まれているなと感心した。まあ細かいこと言うと、短距離の区分が微妙だったりとかあるんですけど(*)、「能力の可視化」によって、それぞれの馬の特徴をうまく再現した。追い込み馬だったり、逃げ馬だったり、それがこのゲームの肝なので、細かいことはいいでしょう。

この「能力の可視化」で思い出すのは、やっぱ「咲-Saki-」かな。
嶺上開花という麻雀の1役を自分のスキル(使用可能なもの!)として持つ、とかいま考えてもどうかしている。サンキューリッツ。「どういう風にキャラクターの打ち手としての強さを見せるか」が難しい麻雀マンガにおいて革命でしたから。「むこうぶち」とか、基本的に御無礼って言ってるだけのおじさんですからねアレ。そういう意味でいうと、「兎」は惜しかったのかもしれない。インフレしすぎて、最後は主人公が天和してたからなあ。

咲-Saki-の話をもう少しすると、そういう能力を持つ組と、なにも持っていない一般人の戦いも熱かったですよね。良い対比関係ができていた。一般雀士が腕で交わしていく展開も良かった。


【カメラワークについて】
よく実際の競馬のカメラを再現されていると評判なんですが、まず、「元のJRAのカメラワークはクソ」なので、これを再現してはいけないんですよ。全体的にカメラはちょっと寄りすぎ。

ロングショット→超ロングショット→コーナー固定カメラ→ロングショット
この切り替わりで馬群が分からなくなるんじゃな…( ^ω^)

豪快に大外から差し切るときも見にくくて、ここは流石にウイポに軍配が上がるか。まあソシャゲで、しかも縦画面で競馬のカメラワークを再現しようとするのは無謀としか思えないので、元々が悪いような気もします。ライブも横なんだから、横にすりゃいいのに。

Q、じゃあいいカメラワークあんのかよ!教えろやハゲ!
A、こちらです

*2000年/BCクラシック(※米国ダート最高峰のレース)


Giant's Causeway(ジャイアンツコーズウェイ)とTiznow(ティズナウ)の熾烈な叩き合いが有名なマッチレース。直線に入ってから(1分50秒あたりから)は、並走する車に、おそらく昇降式のレールカメラを取り付けて、上から下にカメラを下げていったんじゃないのかなと推測している。

このカメラワークの良いところは、最終コーナーという、「位置取りがめっちゃ変化するところ」を捉えながら、なおかつ直線の先頭馬群を立体的に映していることです。似たようなことを新潟競馬場ではやっているんですけどね。

これがJRAのカメラワークでは、前述した通り、固定カメラをいったん挟むので、カメラで捉えている馬群の状態に一瞬のスキが出来てしまう。結果として、2~3秒ほど、コーナー~直線での位置取りは見えなくなります。東京などの中央4場ではまあ、カメラに一貫性がありません。



有名なのは、やはりゴールドシップの皐月賞だろう

*皐月賞/2012


向こう正面:ロングショット(2分23秒~38秒)
→これは普通、ちょっとカメラの振り方速いけど良い

コーナー手前:超ロングショット(39秒~41秒)
→馬群全体の状態を示す、これも良い

コーナー:固定カメラPAN(42秒~52秒)
→後方馬群を最後まで映してしまうせいで、先頭の状態が分からなくなる
※51秒あたりで先頭馬群の情報が失われている

直線:ロングショット(53秒~3分5秒)
→ズームイン、ズームアウトでわけわからんやろがい!

ゴール板前カメラ(5秒~14秒)
→まあここはそれなりに良い
※もう少し角度つけて欲しい、俯角に
※内側の馬とかわからん

こういう風に5回ぐらい切り替わるので、カメラのスイッチングが重要になってくるんですが、その辺はJRAはアホなんで分かってないですね。だから、これを真似してはいけない。

そんで、ウマ娘はというと、スタート直後あたりは、俯角のカメラワークも多く、見応えも十分なんですが、向正面を超えるあたりからJRAのクソカメラが顔を覗かしてきますね。やっぱり縦画面だと入り切らないなあ、という感じ。

収穫はできるのか!?( ^ω^)


コメント返信その1/0327決定版
http://royal2627.ldblog.jp/archives/57817850.html
私は自分と同じ見方でアニメの絵を見ているここが好きです。
ありがとうございます。映像はやはり、絵、つまり画面から始まります。それがどれだけ長いシーンであっても、やはり24枚の連続した1秒が連なっている、という事実が存在します。映像、とくにアニメーションは意図の連続です。偶発的なショットがある実写映画とは違い、すべてをコントロールできる。それもフレーム単位で。画面の端から端まで。まあ中割り動画までいけるのかと言われるとやや変わってくるような気はします。

何度も言ってきましたけど、ぼくは基本的に作品のインタビューとかコラムとか信用しないんですよ。それを読み物として楽しむのはまた別ですけども、そこで語られた、作者意図はその場でなんとなく喋ってしまったこともあるので信用に値しない。そこを根拠にすることは、循環論法みたく、どことなくウソっぽいんですよ。あと、単純に面白くない。お前の血肉で書け。

さいきんは、とってつけたような衒学的なコラムが受けますよね。「ウルトラマンの本質は日米対立の表現」とか、そういうアニメと社会学(近代史、近代知識)を絡めるものがよく話題になっているような気がします。まあつまるところ、みんな、みんなの前で賢くありたいんでしょう。この前、上げた陶酔式は、そういったものの典型例です。

「あなたがたには『見えないこと』を、わたしは語ることができる」、という優位性を作り出してウンチャラカンチャラ喋りだすんです。こういう背景、バックグラウンドがある(ように見える)ことに対して、教養がないといけない、知識がないといけない、つまり、あなたがたはインプットせねばならない。コラムやインタビューを貪って。そうやって、根本たる画面からはもっともっと離れていくんです。あ~おれも、昨今の米中貿易冷戦と絡めて、テキトウな論を展開して、テキトウな出版物を出して、オンラインサロンを開いて一度は金儲けしてみたいものです。



こめへん03/0401版
http://royal2627.ldblog.jp/archives/57874258.html
1. D虫2021年04月03日 09:04
伝えたいことが伝わっていないことも、それをうまく表現する才能が私にないこともわかりました

でもそこは本当に「行き止まり」かなあ?
階段で足踏みしてるようにも見えるんだよなあ

ネットにおいて他人を説得できるかどうかはひとまず隣に置いておきましょう。

アドバイスをしたい対象に、抽象的な内容を送るというのは、効果的ではない(後半2行)、といういか正直にいうと意味不明。このブログでも、たくさんのコメントを頂きました。ああ、こういうことが伝えたいけれど、精一杯ここまで書いてくれたんだな、と思うコメントはたくさんあります。そういうのは誠意をもって返しますよ。ありがたいですから。


これと関連して思い出すのは「宝石の国記事」ですね

「宝石の国」08話/CGとプリヴィズ(松本憲生作画)の比較と分析
http://royal2627.ldblog.jp/archives/52552846.html

・松本憲生のラフ原プリヴィズを楽しむことを否定するのか!
・そもそも、ラフ原画のプリヴィズをもって3Dに起こすことは珍しくない!
・松本憲生のプリヴィズを再現することが最重要だろう!

とかそういった、自分の主張からズレたトンチンカンなレスポンスが多くてですね、この記事は3回も追記したんですよ(※ラストは主張を箇条書きにしているwww笑いが出たwww)。その辺で、もうどうやっていかに努力をして自分の主張を伝えようとしても、自分の脳みそで「別のもの」に変換する人間がたくさんいることを黙殺できなくなった気がする。

そりゃオンラインサロンとかに入っちゃうわなあと。ああ、いや、もちろんこの記事を理解してくれた人は7割くらいいましたよ。7割くらいなら十分でしょう、たぶん。7割に希望を抱くか、3割に呆然とするかというだけの話です。



本題に戻りましょう
・「階段で足踏み」という表現について
→階段+「足踏み」=物事が順調に進まずにとどまっているさま
→物事が順調に進まずに階段でとどまっている

→つまり、「物事が順調に進まずに、階段でとどまっているんじゃないの?」と言いたいわけですよね


うん、別段反論ありません( ^ω^)
そのとおりですよ。階段で足踏みしてますよ。そのへんは言葉の綾でしょう。行き止まりでも足踏みでも、抜けられないトンネルなんでもいい。意図的に停滞していることには変わりがない。そして、その停滞は、もはや限界に達してしまったからと明確に、複数回にわたって、書いているわけです。なんのために、なにを目的に、ちゃんとした記事(*)を書けばいいのか分からないから、今は意図的に、記事を書くのを「休んで」いる、と宣言をした。

伝えることが才能かどうかは知らないけれど、ぼくは、というか人間は、抽象的な内容で説得できません。たとえば、携帯本体を買うときに、一括だと10%ディスカウントで買うことができる。毎月、携帯料金といっしょに払うと、携帯本体の料金は利息がついて元の値段の120%くらいになる。だから、一括で買う方が安くていいのでオススメします。こういう風に、数字と論理(あとは印象)でこの世界は構成されている。

アニメーションもブログも、果ては現実世界の契約まで、この理屈は変わりません。言ってしまえば、ぼくの心が急に変わるかどうかは僕自身にも本当に分からないけれど、説得したいならば、具体的な言葉か体験をもって来たほうがいい、と思います。伝えるというのは才能ではなく、伝えたいという意思をどれだけの労力と時間をもって発揮できるかだけなんですよ実は。

僕に言えることは、100億くれるなら、じっさいにすぐさま書きますね。

メタ的に見る、オタク批判的な「ヱヴァ新劇場版」
http://royal2627.ldblog.jp/archives/39099606.html
このブログは素晴らしい…
オタク的な作画やエフェクトやレイアウトを語るだけでなく
テーマ的にも分析できている…
しかもこの2つ共にかなり精度が高い…
シンエヴァを見ると2014年に書かれたこの記事の見方が正しかったことがわかるし
他の記事を読むとオタクを見下したような人ではなく、むしろ筋金入りのオタクであることがわかる

これマジぃ?( ^ω^)
オタクとかバンバン見下してるけど、ガンダムすら知らねえクソニワカだけど。まあこれは「オタク」っていう言葉が広くなりすぎた、広義化してしまったものだと思います。どこからどこまでがオタクかっていう明確な定義なんていうのはないでしょう、ぱっと答えられる人はいない。

で、自分で見直すと、前半はいい感じですね。後半はもうダメ。うんこちんこ。世に出してはダメ。
こういうのは「代入型陶酔式(※以下、陶酔式)」って呼称してましてね、昨今のシン・エヴァ感想でも多々見られた。

代入式01
好きなキャラクターとスタッフを入れるどん!


代入式02
ほらこうなるじゃろ?( ^ω^)

これってね、連想ゲームでしかないんですよ。オタクは論理よりも連想を好むので。あくまでも、そう見える、それっぽい、というだけで、別のキャラクターとスタッフを入れることが可能な時点でガバガバでしょう。例のアレ動画のアナグラムかよ。

こういうのが市民権を得たのは、おそらく「ゼロ年代批評」でしょうね。この陶酔式のたちが悪いところは、それっぽい論や語りを展開できてしまうことです。お手軽なんですよ。問題点としては、映像からスタートしていないところ。

何度も言ってきましたけど、映像の批評は、映像画面から、完成画面からスタートしないといけないんです。なんていっても、この媒体、メディアは画面というものがありますから。小説や漫画とは異なるアプローチをしないといけない。

それが、こういう簡単な代入式、ちがった陶酔式の登場によって、「なんとなく分かったフリをする」人間がシン・エヴァではたくさん可視化された。よく分からないけれど、分かった感じになる。映像批評と大げさなことを言いましたけど、映像批評・批判っていうのはオマケみたいなもんで、いちばん大事なのは、映画をトコトン理解する努力なんですよ

大事なのは、理解しようとすること。批評しようとしてはいけない。これはさいきん気が付きました。たとえば、シン・エヴァでは第3村の存在をどのように捉えるのか、という解釈が大事だったり、なんのために黒波が田植えしたりしたのか、そういうのを一つずつ丁寧に、丁寧に拾い上げていくことが大切なんです。なんでこのアングルを選んだんだろう、とかね。でも、面倒でしょう。だから、短絡的な方法を選ぶんですよ。

こんな公式に当てはめて分かった気になってる人たちは、映像が好きなんじゃないんですよ。庵野秀明と、その周辺のゴタゴタが好きなだけ。スタッフの人間関係や、系統をなんとなく当てはめているだけ。楽屋知識を元に、玄人っぽく、サブカル人間ぽくなりたいだけ。要するに、ゴシップ気質なんですよ、それ以上でもそれ以下でもない。週刊新潮とか呼んでるゲスと変わんないです本質は。



コメント返信その2/特にWEBテキストについて
http://royal2627.ldblog.jp/archives/57865249.html
やめたいならペイっと投げ捨てればいいのに、お父さんがー、バカどもがーって随分面倒くさいなって思っただけです

気に障ったのならごめんなさい
2021-04-01 08:09:50 D虫

人間、一生で期待されることはほとんどありません。それが自分にとっては大したことではないと思っても、このブログを読んでくれている人がいる。それなりに評価されている。単純に書くのが、また好きになるかもしれない。それだけで、自分にとっては簡単に投げ捨てられるものじゃないですよ。だけど、マネタイズできるほどではない。だから、趣味で続けたいけど、いまは身を削れない。

個人サイトはうずらインフォさんの引退もありましたけど、そんなにぽいっとやめられるようなものじゃないんですよ。言うは易し、行うは難し。

読者のみなさんが、なにかこだわりがあって、他人から見たときにゴミであっても、自分にとっては重要で欠けてはならない、そういった存在のものってあると思うんですよ。みんなにはないの??

自分の親父の件で面倒になるのは当然だと思いますよ。まあ、それぞれの家庭環境をぼくは肯定するので、「必ず子供は親を愛さなければいけない」とか言いませんけど。

東日本大震災の被災者の目の前で同じセリフを言って欲しいですね。
「なんかグダグダ言ってっけど、福島の地元?スパッと捨てればいいじゃん」って

言えないっしょ?

自分は合理的に生きている、って誇示される方はたくさんいらっしゃるんですけど、感情によって矛盾する部分を黙殺してるんですよ。ワタミじゃねえんだからさ。「できないっていうのは嘘つきの言葉なんです」みたいな社会はいやですよ、おれは。

だから、どんな人間にも完全な合理性なんて存在しないんですよ。感情があって、それをなんとか理性で解決しようとするから面倒になるんじゃないですか。面倒くさいことを、面倒くせえなあって言いながら考えまくるから人間なんですよ。


いまはね、こういうクッソ面倒くさそうなことをグダグダとやって書いて、いろいろやっているだけ。行き止まりなので、やってこなかった事をいろいろやって、試してるんです。まあ、そんなもんなのよ。コメント返信で読者さんと会話してみようとか笑

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