GOMISTATION.OLD01

SAY HAPPY, SO HAPPY

2025年12月

■今年も1年お世話さまでしたわよ

1265790
(エイラかわいい)

お世話になりました。
「シンデレラグレイ」ですかね、まともな記事は。
あとは競馬とゲームと仕事とかしてました。
仕事は転職成功から立て直しを図り、技術力の底上げをするために日々勉強です。
(※さいきんはあまりできていないですが…)

思うことは同級生の訃報が増えてしまったこと。
そういう年齢にもなってきたので、身体にも気を使っていきたいですね。
お察しの通り、ブログはまともに更新できる状態ではありませんでした。

ただ、なんというか、やはり自分はどこか他人と相容れない人間だと自覚はしているので、そのあたりの憤りをブログにぶつけたい気持ちはあります。人間が苦手という話ですね。

アニメはまったく見なかったかな。
「機械仕掛けのマリー」をちろっと見たくらい、あとはPV、OPについて配信でぼやいてました。
漫画は「九条の大罪」や「凍牌」ぐらいかな。あとは気に入った作品をただひたすら見直してた。
それぐらい今は、なんとなく同じような毛並み?のような作品がおおかったですね。

言葉を濁さすして言えば「藤本タツキ」系の不条理キャラ56し系、「チ。」であるとか、そういったクダラナイ作品については考えが及ぶことはありませんでした。思想がない。矜持がない。そういったものに自分の目には映りました。何もかれらの作品をみて、持ち帰るものがないんです。



■作画やアニメーターについては?

これはここ5年くらいの傾向ですが、中村豊、松本憲生、田中宏紀の3点バーストぱくりばかりで見る気にもなりません。ただ、野中正幸系のフォロワーが一般層に評価されているのはいい傾向です。作画オタクよりも、一般人の方がしっかりと自分の目で見ていますね。

ボクはけろりらが次世代の100人とかどうでもよくて、さっさと野中を連れ出してこいって言いたい。「バイブリーから救えるのはあなたしかいないわよ、梅原翔太くん」。「九条の大罪」のぴえん事件と同じような気持ちです。救ってあげてください。

彼は超人です。まごうことなく、かれは今後100年にわたって出てきません。それが自分の気持ちでフリーに活動できないのは、明らかに業界の損失であり、今後のアニメーションの歴史すら変わってきます。BTRもノンクレ参加、なにか思うところがあるんじゃないですか。

「バイブリーから野中正幸を救えるのはあなたしかいないわよ、梅原翔太くん」

頼みましたよ。梅原先生。

といったところで、あるていどの希望は持ちつつ来年に臨みたいと思います。
今年は低頻度の更新にもかかわらず、これだけ見てもらえる人がまだいるんだという事実がわかって、やはり少し恩返しをしたいです。

ではよいお年を。

えーといろいろ書いてきました。
・2014年 アニメーション・エフェクト作画 10選+α / 2014
https://royal2627.ldblog.jp/archives/42286758.html

・ガルパン劇場版に見る、エフェクトに込められた技術と意味 / 2016
https://royal2627.ldblog.jp/archives/48837335.html

・「楽園追放」のエフェクト作画から見る、CGと手描きの差異とその見所 / 2015 https://royal2627.ldblog.jp/archives/43188889.html

・「宝石の国」08話/CGとプリヴィズ(松本憲生作画)の比較と分析  / 2017-2018
https://royal2627.ldblog.jp/archives/52552846.html
 
・アニメにおけるワイヤー・ケーブルの作画表現のいろいろと、その両面性 / 2016
https://royal2627.ldblog.jp/archives/48152829.html


10年ぐらいこういうのを続けて分かったことは何個かあるんですが、



・おそらく、自分自身の意見を読んでもらえているわけではない
 →悲しいw

コンパクトな資料性の記事(参照性が高い)がウケているだけ
 →コスパ・タイパよく生きたい人間が世の中本当に多いものです。
 →地盤固めをしっかりとしないと本当はこういうものを参照しても仕方ない。

・意見を読んでもらっても、ホイ卒みたいな返答が多い
 →議論ができない/検討ができない/新たな発見が薄い/建設性がない。
 →昔みたく濃密なやり取りができなくなってしまった。

・だれもが読めるような可読性の高さにしてしまった功罪
 →注意喚起(素人のブログなのでちゃんとした裏取りをしてね)も時々している通り、あれは予防線ではなくて、ちゃんとまともなページ読んで勉強してねっていうこと。
 (※著名な方に読まれているのは嬉しいけれど、どこを参照しているんだろうっていう疑問)


こういうのの積み重ねでイヤになったんです。だれかを不快にさせようという気持ちなんてあるわけないのにね。だから、こういう特集やめちゃった。ウケるだろうけど、そういうのを求める心も少なくなりつつある。


んで、自分自身もこれ以上、こういった特集で面白いものが作れる感じが無くなっちゃった。
求められているのはどうせコンパクトな資料性なんだろうっていう。
「おれじしんの意見ではない」というのを突き刺されるとじわじわと出血をし、幾年も重ねると敗血症になるのです。


もう1点はライバルの不在で、おれとバトれる人間が減った。
所詮は合わせ馬なんですよ自分はだれかが一緒に走ってくれないとソラを使ってしまうしモチベがなくなる。だれも走ってくれない。一緒に走れよ、目の前のお前だよお前。
Twitterのザコどもと走りたくねえんだよ、なあわかるだろ?
病的な執着は君らTwitterの変な語りべたちにあるわけないんだ。命を賭けろよ。

もう1点は、どうせこういうことを言うのは、おれだけっていうこと。
昔の記事の振り返りなんてしたとしても、よう書けてたなこの時期はっていう程度なんで。
「こんな記事もう書きたくない!!!」「読者のお前ら、メンタルが不安定だから助けろ!!!!」っていうのはたぶんおれだけでしょう。


この後の続き、なにか想定はしていたはずなんだけど、忘れちまったぜ。
「野中正幸」と「バンパイア・ハンターD」については必ず出したい(※これ3年ぐらい言ってない???????何の成果もないよ)けど、もうどうしたらいいだろうねwモチベは少しあるけど、これずっと続くわけじゃないし。
仕事が今は楽しいし、やりがいもある。大変なことは多いけどおもろい。

という課題を大晦日に出すっていう笑

着せ替えとうとう完結しましたね。
最終巻はどうかなーと思っていたのですが、素直に最後まで楽しめました。

kise01




いろいろ語りたいところはあるのですが─

ボクにとっては「ハニエル」の章、最後のコスプレショーである「コミケの段」が最も刺さりました。理想を中々作れず、それでも足掻いたごじょーくんの姿に感銘を受けたのもありますが、最もインパクトが大きかったのは「ハニエルの造形」と「喜多川のコミケでの振る舞い」です。


kise02
さて、劇中漫画「天命」のハニエルを描いたのは、司波刻央でしたよね。見て分かる通り、司波刻央は天野喜孝をモデルとしています。天野喜孝は80~00年代のキャラクターデザインの頂上にいた人物です。つまるところ、この物語のラスボスとしてふさわしい。

それで、天野喜孝のキャラは、その繊細さのために「一枚絵」で最も魅力が出る。
逆に、実写・アニメーションとなると途端に難しい。
(※そういえば「天使のたまご(1985/映画:」押井守作品)」も北米上映で人気を博していました)。


kise03
コミケでの喜多川のハニエルコスプレショーは圧倒的でした。
なぜなら、繊細なキャラクターが実在しているかのように振る舞ったからですね。

もう少し言うならば、アニメと違ってコスプレイヤーは素の部分も見られてしまうわけで、その部分すらひょいと飛び越えて、劇中原作「天命」を想起させるまでに及んだショー。アスペな厳格な司波センセもこれには、少し考えた後で、このコスプレショーに納得をせざるを得なくなった。




これからかれらは最良の人生を歩んでいくんだろう、ごじょーくんも喜多川さんも。良かった良かったチャンチャン…と終わる前に…



ボクとして「困った」点をいくつか
まず1つ目に、ごじょーくんの気持ちはあまり追えませんでした

kise04
ごじょーくんは顔にもモノローグにも、どこにも相手に対する感情を出せません。
ここは実は少し個人的に困った。アンフェアだったなあ。

喜多川はバッコリと、いやベッツリと感情をあらわにして相手に伝えるわけです。「ちゅきちゅきごじょーくん♡」のように。これが「ごじょーくんの心」や「不自由さのテーマ(1*)」と対比になっていることは承知の上なのですが、クラスメイトと打ち解けた後はもう少しナチュラルに出ていいのではないか。

自分の気持ちにごじょーくんが気づいた後に起こる喜多川さんとのケンカの解決も、なんでこんなに早いのか、と驚くばかりで。ごじょーくんが最終的に(これまでの物語上で)自分自身で気付いて、自分から言い出さないと意味はないので。ちゃんと気付くんですが、言うまでに至ったのか?というのが少し気にかかった。

結果的には、喜多川さんの勢いに押されたなあ~という感想しかなく。まあそういうコンセプト、「人生なんてためらってないで、勢いでIKEA!オラァ!」っていう回答なのかもしれない。あとは縁がキミを導くだろうなんだろうなという風にあるていどの納得をしました。

(1*)...好きなことや趣味をおおっぴらに好きとはいえない、息苦しい不自由な世の中


2つ目にごじょーくんが好きなものを言えなくなった。
ひいては対人×コミュ障クソ人形オタクになってしまった原因である、のんちゃんの雑な扱いです。

kise05
これなんだったんだよ。あのときはごめんちょして終わりて。なんだこれ。小学校のときはイジメてメンゴメンゴwこれからは仲良くしようぜ、みたいな雑さ。

それでまあ喜多川さんと衣服の店長の昔話と、それぞれが組み合わってごじょーくんは自分の気持ちを理解して、やるべきこともわかるわけです。「さあ勇気出して、後悔しないようにね」って外部から押し出されている感じ。ごじょーくんに自発さを感じなかった


のんちゃんは舞台装置でしかないんですよ。モノ扱い。女はモノ。産む機械。ごじょーくんに嫌がらせをして塞ぎ込む理由を作って解消するためだけに生まれたモノ。これって代わりがいくらでもいるじゃないですか。のんちゃんでないといけない理由が存在していないのが好かん。なんでほぼすべて解決した後にちょろっと出てきたのか。お前の役目はねえ!けえれ!っていう感じ。



kise07

いやまあ、ごじょーくんと喜多川さん、のんちゃんも含めて当時の誤解も解けて、かれらのこれからの人生が上手く行きそうなら良いんじゃないですか。作品構造に対して、ボクが納得できていない(違和感を抱いている)だけで、別に良いと思うんだ。

考えていくと、これはコミケの段を含めて、「他人との接触 / 人間関係の素晴らしさ」を主張したいんだろうな。この作品は、いろいろな人間関係によって、「縁がキミを導くだろう」みたいなことが多かった。ただ、ごじょーくんにとっては、人間関係というのは恐怖の対象しかなかった。ネガティヴな要素しかなかった。

でも喜多川さんと出会ってから、段々とごじょーくんのその人間関係に対する認識は変化していく。時々怖いところもあるけれど、やはり他人との関係によって、自分の考えや認識も変化していく。衣服屋の店長なんかがそうですよね。ごじょーくん、キミは怖がらなくていいんだよ。他人は見かけによらないし、こっちを気遣ってくれる人たちもたくさんいる。そういう喜びや幸せを問いている。

(やはり、旧劇を思い出してしまうなあと個人的には。
こんなに世界はキレイでないと思ってしまう笑)


コミケの段は素晴らしく、言う事なく。
ハニエル以降はやや舞台装置化、仕組みによって動いているような感じだった。まあどこにエンドをおいているかの話ではあります。ボクは、ありのまま言えば、ごじょーくんや喜多川さんに幸せになってほしく無かったのかもしれない。それは今の段階ではわからないですね。




kise06

少なくとも、ごじょーくんという魅力的なキャラクターは、舞台装置のようなロボットによって自分の行動を動かされるものであってほしくはなかったということだけは言えます。

↑このページのトップヘ

©GOMISTATION 2012-2023 All rights reversed