今回は少し真面目に脚本の方のお話を。
(※書いてると長くなったので、作画ピックアップとは分けました。)
とうとう大詰めな感じ

21話

皐月は四天王と連携をとり、純潔流子を救命具で助けようとするが失敗に終わる。
一方ラ行は、人間カバーズを動力源として原初生命繊維に乗り、「始まりの地」へと向かう。
攻防終盤、皐月の一瞬の隙をついた攻撃により、傷口から流子にマコと鮮血が入り込む。
そこで、ようやく流子は正気に戻り…血の雨を浴びながら終わる。
残り3話。もう3話しかないのか。
主な伏線は、NBサイドの過去に服に着られた女性だけになった気がする。
これすっげえ重要だと思うけど、どこで回収してくんのか。
超怪しい、ラ行の秘書とそろいさん



なんだか知らんが超怪しい。
ミスリーディングである可能性は高いけど、そういう演出をしている風に感じる。
「皐月!」「皐月様!」「皐月ちゃん!」


「乃音」は、まさしく今作のキーパーソンであろう。
物語を円滑にするための、半分視聴者側のキャラと言っても過言ではない。
この人じゃないと駄目なんだ!という声優は、みんなそれぞれいると思うけど。
自分の場合は、新谷さんがまさにそれ。
「風立ちぬ」の庵野秀明と同じくらい、希少で魅力的な声を持っている。
キルラキルの視聴きっかけは、半分以上が新谷さんである。
後、何気に乃音ちゃんの過去回想の伏線回収してたりする。(お城の話ね)
キルラキルは、壮大な兄弟、親子喧嘩


キルラキルの全体像は、壮大な親子喧嘩であり、壮大な兄弟喧嘩でもある。
世界規模になってしまった喧嘩は、実は僕らの身近にあるものであることに気付く。
そのおかげで、王道な、悪く言えばありきたりなストーリー展開でありながら、
視聴者は「キルラキル」を陳腐なものとは感じない。
手塚治虫が過去に言ったように、身近なものを取り込んだ作品は親近感を湧かせるのだ。
古臭く感じ、敬遠されるのを回避しているのは、多くがここに起因する。
「兄弟喧嘩」という身近なものであるおかげで、僕らはこの作品に沈み込んでいけるのだ。
パロディの多さとオリジナリティ

(※比較対象は、上から順に「エヴァ旧劇」、「彼氏彼女の事情」、「エヴァ旧劇」)
キルラキルは「炎の転校生」「あしたのジョー」から始り、「キルラキル」へと変身を遂げる。
その道中に、「彼氏彼女の事情」「エヴァンゲリオン」を通って行く。
最初は、ただのパロディ満載、既視感バリバリのアニメが、知らぬ間に斬新さを放つ。
パロディ・オマージュの多様性から、オリジナリティが発現するのだ。
これはアニメとしては、「トップをねらえ!」「エヴァンゲリオン」が代表的である。
過去作品の模倣、オマージュを繰り返すことで、親しみやすくする。
そうして、いつの間にか、オマージュを超え、オリジナリティが出てくる。
「いつの間にか」と言ったように、一体どこから「キルラキルさ」が出てくるのかは定かで無い。
おそらくオマージュを繰り返した、作品全体から出てくるのではないか。
「キルラキル」24話全体を俯瞰することで、ようやくオリジナリティは出てくるのだ。
久しぶりに真面目に語ったような気がする。
正直に言うと、「キルラキル」は「ナディア」のような感じ。
つまり、今石は次の作品で、もっとすごい何かを起こす。
10年代を代表する、アニメ監督になる可能性がある、と感じている。
(※書いてると長くなったので、作画ピックアップとは分けました。)
とうとう大詰めな感じ

21話

皐月は四天王と連携をとり、純潔流子を救命具で助けようとするが失敗に終わる。
一方ラ行は、人間カバーズを動力源として原初生命繊維に乗り、「始まりの地」へと向かう。
攻防終盤、皐月の一瞬の隙をついた攻撃により、傷口から流子にマコと鮮血が入り込む。
そこで、ようやく流子は正気に戻り…血の雨を浴びながら終わる。
残り3話。もう3話しかないのか。
主な伏線は、NBサイドの過去に服に着られた女性だけになった気がする。
これすっげえ重要だと思うけど、どこで回収してくんのか。
超怪しい、ラ行の秘書とそろいさん



なんだか知らんが超怪しい。
ミスリーディングである可能性は高いけど、そういう演出をしている風に感じる。
「皐月!」「皐月様!」「皐月ちゃん!」


「乃音」は、まさしく今作のキーパーソンであろう。
物語を円滑にするための、半分視聴者側のキャラと言っても過言ではない。
この人じゃないと駄目なんだ!という声優は、みんなそれぞれいると思うけど。
自分の場合は、新谷さんがまさにそれ。
「風立ちぬ」の庵野秀明と同じくらい、希少で魅力的な声を持っている。
キルラキルの視聴きっかけは、半分以上が新谷さんである。
後、何気に乃音ちゃんの過去回想の伏線回収してたりする。(お城の話ね)
キルラキルは、壮大な兄弟、親子喧嘩


キルラキルの全体像は、壮大な親子喧嘩であり、壮大な兄弟喧嘩でもある。
世界規模になってしまった喧嘩は、実は僕らの身近にあるものであることに気付く。
そのおかげで、王道な、悪く言えばありきたりなストーリー展開でありながら、
視聴者は「キルラキル」を陳腐なものとは感じない。
手塚治虫が過去に言ったように、身近なものを取り込んだ作品は親近感を湧かせるのだ。
古臭く感じ、敬遠されるのを回避しているのは、多くがここに起因する。
「兄弟喧嘩」という身近なものであるおかげで、僕らはこの作品に沈み込んでいけるのだ。
パロディの多さとオリジナリティ

(※比較対象は、上から順に「エヴァ旧劇」、「彼氏彼女の事情」、「エヴァ旧劇」)
キルラキルは「炎の転校生」「あしたのジョー」から始り、「キルラキル」へと変身を遂げる。
その道中に、「彼氏彼女の事情」「エヴァンゲリオン」を通って行く。
最初は、ただのパロディ満載、既視感バリバリのアニメが、知らぬ間に斬新さを放つ。
パロディ・オマージュの多様性から、オリジナリティが発現するのだ。
これはアニメとしては、「トップをねらえ!」「エヴァンゲリオン」が代表的である。
過去作品の模倣、オマージュを繰り返すことで、親しみやすくする。
そうして、いつの間にか、オマージュを超え、オリジナリティが出てくる。
「いつの間にか」と言ったように、一体どこから「キルラキルさ」が出てくるのかは定かで無い。
おそらくオマージュを繰り返した、作品全体から出てくるのではないか。
「キルラキル」24話全体を俯瞰することで、ようやくオリジナリティは出てくるのだ。
久しぶりに真面目に語ったような気がする。
正直に言うと、「キルラキル」は「ナディア」のような感じ。
つまり、今石は次の作品で、もっとすごい何かを起こす。
10年代を代表する、アニメ監督になる可能性がある、と感じている。