
恥を忍んで告白致しますと、「アナ雪」見ておりません。「見てねぇくせに批評すんのかよ、死ねよクソバカ。」仰るとおりで、何の反論もありません。申し訳ない。別の方で少し進行してるものもありまして、まあ観に行く時間もないし、ここで観に行くと何だか負けた気分になってしまうので見ておりません。結局、天邪鬼なだけですね、本当にごめんなさい。
で、何とか、内容をつかもうとwikiなり感想なりを読みまくり、レリゴーを聴きまくり、普通に見るより時間がかかったような気もしています。まあどうでもいいです。
ちょっと自分なりに、「アナと雪の女王」の内容をまとめました。概要的な感じですね。
アナとレリゴーがいて、お互い姉妹だけど、何かレリゴーの魔法が暴走して、アナはお姉ちゃん子だったから寂しいけど会えなくなる。最後には、愛が魔法を制御する手段であることに気付いてハッピーなエンド。
この両者を比べる時に、脚本より前に一番最初に出てこなきゃいけないのは、「フル3DCGアニメーション」と「とんでもなく労力のかかる手書きアニメーション」という構図です。 つまりは、まず映像について。これは、別に「手書きだから偉い」とかそういうことを言いたいわけではありません。


アナ雪はフル3DCGということで、とんでもなく完成されたものになっています。キャラの表情、カメラワーク、エフェクト、何処をとっても曖昧さやゆらぎは感じられず、アメリカ人の好きそうな不変的で、完璧なアニメーションになっています。 対してかぐや姫は、手書きアニメーション。この上に、水墨画のような淡い感じや、線画のあいまいさなアニメーションでやる。つまり、非完成的なものとなってます。ここには、日本人の一瞬の儚さを好む「わびさび」であるとか、「刹那性」を感じることができます。なのに、なぜ日本人にウケなかったか。


アナ雪は、前述した通り、完璧な作品という風に感じています。ディズニーらしい演出(ロングで引いていって、いきなりポンと寄るとか)とミュージカルテンポなアニメーション、これはよくよく考えればディズニーの王道を少し誇張した感じのもので、ウケないはずがない。特に、映画を見に来るとなったら、女の子やカップルは楽しいポジティブな作品の方が当然いいに決まってる。愛が最終的な決め手となっている点も大きいです。「アナ雪感動したね~」「大事なことを感じられたね」なんて優等生な感想を残しながら、夜の街ではズッコンバッコンです。



対して、かぐや姫。日本最古の物語で、中高生で誰しもが触れているような作品です。だから、みんな内容知ってるし。しかも、内容はネガティブ。かぐや姫は、自分の存在意義に疑問を持ち、叫んだりもします。夢の中で逃走を図るが、現実は逃げ切れない。絵はどことなく古びたもので、とっつきづらいし、綺麗な感じも多分そういう人たちには行かない。映画もどうせならキレイでオシャレな方がいいだろうし、コミュニケーションツールとしては、かぐや姫は駄目なわけです。だからウケなかった。こんなもん女子会の話しネタにもならないし、ズッコンバッコンのきっかけにはならない。
こういうわけで、日本人にアナ雪がウケて、かぐや姫はウケなかったと僕は思いました。
もう一つ大きな違いとして、アナ雪はストーリーの上に絵が乗っかっているのに対し、かぐや姫は逆です。ちゃんと子供でも理解できるストーリーに、綺麗な絵を乗っける。これだけできちんとお客さんは入ってくると、ディズニーはもう確立しちゃってるわけです。かぐや姫は、高畑勲の50年来ですかね?東映動画入ってすぐにあった企画を今回どうしてもやりたかった。その面では、アニメ黎明期の「絵」というモノが高畑さんの中で悶々としたものがあったと思うんです。鳥獣戯画的な、淡いタッチで、素朴に自然にやりたかった。だから、絵が先行してしまったんです。絵にストーリーが乗っかっちゃっている。絵がストーリーを作っていくという感じですね。そういう点では、非常に特殊な作品で、幹たる物語の展開はわかっているはずなのに、何故かなかなか見えてこない。逆にアナ雪は、単純明快で綺麗な展開の王道ストーリー。 だから、アメリカのみならず、答えは一つの日本教育のおかげで日本でも大いにウケたわけです。
そういう感じです。
こんな感じに、僕はアナ雪とかぐや姫を見比べて思いました。
ちょっと急ぎ足で申し訳ない。僕の妄想や、勝手な推測も大きく含んでいる部分が今回はすごく多いです。そういう点は本当にも申し訳ない。
コメントでいただいた、児童文学、古典文学としての比較もちょっとできてないので。まあもうホントすいません…そういう点は、やはり見ないとできないと思うので…