ちょっと物議を醸しているようなので。

問題の中心となってるのは、「椿が打った打球がガラスを破り、有馬の頭にぶつかり、血を出しながら倒れている」という一連のシーン。とりあえず、カットで追っていきましょうか。(公平性を期すために、全カット拾ってる)

君嘘問題シーン


おそらく、問題となっているのは、3・4~13カット目の頭からの出血描写であり、また14~22カットまでのガラスに触れて怪我する危険がある(とそれを心配する椿)描写でしょうね。前者をAとし、後者をBとします。


この問題の本質というのは、「デフォルメ演出」です。

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Aの描写は言うまでもなく、大げさなデフォルメ・ギャグ描写であり、それを裏付ける根拠として、6、7、8、12(13)カットがあります。「流血した」という事象に対して、あくまでもコミカルなデフォルメで対応し、椿の「死体だ―!」というセリフからも冗談(コメディ的な暴力)であることが大いに分かります。


対して、このように、Bの(ガラスで手を怪我する可能性がある)描写では一切デフォルメ描写がありません。つまり、Aの描写は冗談めいていて、Bの描写はシリアス・真剣であるということが言えます。 

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またB描写では、ガラスの尖っていて危ない感じ、有馬の手はそれとは対照的に脆そうな感じが存分に演出されています。椿が心配して、ホウキが倒れるカットもそれを表しています。


これらのことから言えることは、ただひとつしかありません。

Aというコミカル・コメディな描写は、B描写のために用意された「比較装置」であるということです。頭からの出血、というものを大げさに描いたのは、B描写、すなわち「有馬公生の手指の貴重性」を表現するためです。

つまり、有馬公生、ひいては「四月は君の嘘」内においては、「頭部からの出血」 よりも「有馬公生が手指をケガする」方が、「物語の死」に近づく恐れがあるということです。現実世界で考えれば、当然、頭部からの出血の方が一大事のように見えますが、この世界においては、それが逆転しているということです。(※まあ、頭をケガしたことがある人ならわかると思うんですが、ふとした衝撃でドバドバ血が出ますけど。) 

結局は、「有馬公生の手指の貴重性」というものを示すために、この一連のシークエンスが存在しています。有馬公生の脳みそなんてのは二の次であり、その貴重な手指だけは死んでも守らねばならない、ということをここでは伝えているように感じます。 じっさい、有馬公生の手指は貴重なものであり、ピアノクラシックという題材の下では、至ってシンプルな演出だと思います。


何故、問題になった(物議を醸した)のかは、おそらく、若干A描写にコミカルさが不足していたからでしょう。その微妙な不足さを持ってしても、一連を見渡せば、べつだん難しい演出とは僕は思えませんが。アニメ読解というのは、制作側の意図がまず前提として存在していて、それを視聴者が解釈するものであるので、あの流血シーンだけを抜き出してどうこう言うのは、ちょっとおかしいな、と思っています。

その観点では、バイアス、偏見というものはゴミでしかありません。視聴・読解という点において、一番やってはいけないことであると思っています。