──師走も半ばをすぎると、途端にせわしなくなる。そのせわしなさの中で、目に入る余裕がなかったのかもしれない。

今年の朝日杯(阪神/1600)の前提は、重賞2連勝セリフォス(父ダイワメジャー)と無敗馬ジオグリフ(父ドレフォン)を中心にして進んでいった。というのも、例年はサウジアラビアRCであったり、「マイル(1600m)」重賞に出た馬が多く出る舞台だ。マイルOP(※OPとはそこそこレベルの高いレースと考えてもらえれば良い)以上で走った馬は、わずか2頭(セリフォスとオタルエバー)のみだった。

つまり、(基本的に)マイルが得意な馬が中心になるはずの朝日杯は、ここまでの戦績が1400mだったり1800mだったりと未知数な馬だらけであったのだ。1800mを走ったからと言って、マイルを走れるわけではない。400m走と100m走がまったく異なるのと同じで、異なったスピードが要求される。だからこそ、困難だった。いや、困難にしてしまった、というのが自分の感想だ。



外から白い勝負服の馬が飛んできたときには、もう遅かった。武だった。勝ったのは重賞に出たわけでもない、ドユデュース(父ハーツクライ)だった。前走のアイビーSではスローペースの中、好位につけ、最後は決めて勝負になるレース。長く良い脚を見せて、馬なりで快勝。

長く競馬をやっていると「キーファーズ」という言葉を嫌でも知るようになる。キーファーズは馬主であり、武豊を全面的にバックアップする組織であったが、トンといい馬が出てこなかった。大きな期待をされた、マイラプソディ(牡4・父ハーツクライ)は2歳重賞を最後にして今はさっぱりだ。

要するに、キーファーズの馬と聞くと、まず弱いのではないか?というバイアスがかかった。アイビーSを勝っているにもだ。アイビーSの主な勝ち馬には、クロノジェネシス(グランプリ3連覇)、オーソクレース(菊花2着)、ソウルスターリング(オークス勝ち馬)などがいる。そもそも、舐めてはいけないのだ。そして、今年の武豊jの絶不調。特に、芝・重賞では馬券に絡んだのは50レース中、たった7回だ。G1に限れば、もっとひどい。

それらの要素は組み合わさり、キーファーズ×武豊の芝G1は来ない、というきわめて醜いバイアスに繋がってしまった。これが知識の怖さだ、と久々に痛感した。

作画やアニメで知識を入れることに意欲的でなかったのは、こういうバイアスと戦う勇気がなかったからだ。変な先入観を持つと、真贋を見抜く力はみごとに落ちる。そういう風に考えて、知識をわざといれなかった。競馬も同じだった。

ただ、さいきんはまったくのスランプで、自分が普段みないようなものまで見ていた。厩舎コメントだったり、陣営の思惑だったり、そういう可能性の薄い、主観が入ったデータに縋ってしまった。そして、考慮する余裕がなくなってしまい、ドユデュースのレースを見なかった。そう、見なかったのだ、ぼくは。

あのアイビーSを見なかったのだ。普段なら、必ず見ていたであろう、アイビーSという重要なレースを見ることもなく、流してしまったのだ。

知識は増えれば触れるごとに、景色が広がる。そういう風に一般には言われるが、ぼくに言わせると、先入観との戦いになるのが苦しい。このバイアスさえなければ、もっと、もっと自由に物事を見ることができた、そういう風に思うのだ。知識を増やせば、先入観との戦いにはどうしてもなる。ぜったいになる。ならないはずがない。とかく、バイアスは自分の目の前にある真実を歪めてしまう。

ドユデュースに騎乗した武豊jはハイペースを見事に読み切り、中団で待機。3コーナーあたりからエンジンをかけると、荒れている内を避けて大外へと持ち出す。前で競っていた馬たちを、さっとゴール板前で、図ったような差し切り勝ち。お見事という他なかった。白い勝負服は突然、飛んできたのだから。

武豊jはこの朝日杯というレースを22年間とれていなかった。22回目のチャレンジで初勝利。武豊jは、さまざまなバイアスと戦ったに違いない。それはかれがダービーを取れていなかったときも同じだ。きわめて苦しんだ、と手記に残った。

52歳の男は、「武は終わった」となんど言われても、立ち上がってチャレンジを続ける。見事な、惚れ惚れする勝利を届けてくれる。ゴール板の目の前に、白い勝負服の馬が飛んできた姿は、ぼくの目にひさびさに焼き付いた。最高の馬乗り男が簡単におわるはずはないのだ。