そういう人間が増えているのでは?という話。
ブログリハビリ2ndシーズン
(えっ!まだ続ける気なのか?)






◆熱意がない

「熱意」というのは、知識についても、行動についても。
みなさん、どんな勉強をしてきたか、どんな資格試験勉強をしているかは置いといて、その中で先生っていますよね。おおよそは。で、その先生って熱意を持って、教えている場合って生徒の成績も上がりやすいんです。知識や解法の定着率が単純に高い。

そりゃ脳みそもぼけーっとしてる事柄っていうのは入っていかない。例えば部活動で、山登りして、苦しい練習をしたときの気持ちとか、そのときのポカリの味とかって鮮明だと思うんです。つまるところ、感情や生命に強く訴えかけるものというのは身に入る・体験として残りやすい。

それでいて、おそらく皆さんの話題の1つになるんですよ。人生の。


でも、ボクが最近よく見るのは、熱意がないというか、その前に「自分自身の意見」がない。それは典型的な日本人の態度だと思うんですけど、それプラス、どこかしら自分に自信?がないから、余所行きの言葉(※とりあえず世間体がよさそうに見える言葉)を使う。

代表例は、国民玉無党、党首である玉木・玉無し・セン一郎です。
これっていったいどういう現象なんですか?
まったくもって理解できない。

公人は別ですが、自分が使う言葉や文章が少々拙いのは仕方ないことではないですか。考えて作った言葉や文章をよくマナー講師とかが冷笑されますけれど、ボクはすごいことだと思いますよ。まあ法人が出すものと個人が出すもので変わると思いますけど、個人が出すものの文章をボクは殆ど否定してこなかったと思う。



言葉とか文章以外でも、熱意をもったり、エモーショナルなことを言うのって重要だと考えている。ボクは学生時分に「ピノうめー!」って言ってたら女子から笑われて、なんだなんだ面白いことなんていってないぞと思ったら、そのリアクション自体が面白かったんでしょうね。

まあボクは別に意識的にやってるわけでもないし、ガチで美味しかったから出た言葉だと思う。(( ^ω^)覚えてへんわ!そんな甘酸っぱい時期のことは…(一敗)) でも、大事じゃないですか?「楽しかった/面白かった/すごかった/...」ときの感想を声に出して言うことは。

こういう世の中になって余計に思いますね。「悲しかった/辛かった/...」ことの吐き出し場所もいるわけですよね。我慢は美徳じゃないです。とてつもない物価高、当たり前のように嫌ですよ。なんかそれがデモやれや!とか(いや物流や介護関係はどんどんやればいいんですけどね?)、ストしろや!ってことではなくて、世の中にそういう正負の感情が雰囲気で察しろみたいな感じの圧力しかないのがイヤだなってことです。

言葉にして紐解いていかないと諸問題、個人間のケンカから、組織的な地面師サギまで解決には至らないわけです。じゃあ、思想やイデオロギーなんかも定まるわけないよなって。だって、自分の「こうあってほしい社会」を言葉にしないんでしょ。そりゃ思想が深まるわけないんですよ。イズムもクソもない。


なるほど。もしかすると、このようにして、日本人は他民族に比べて、(思ったことを内向・内面にしまいがちであり)自分の生死感や哲学的・宗教的な部分、人生観、思想が深まらないのかと思ったわけ。ジャップバカ乙で終わるんですけど。バカ乙をほぐしていくとこうなるんだな多分。

そういう習慣っていうのはどこで身につくものなんだろうね。
これは何が書きたかったんだろう…いや、たいていスタートは思いつきと怒りなのです。
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