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I LOVE U,I KILL U

カテゴリ: 感想・評・レビュー等

ある日、女子高生・紗倉ひびきはダイエットのためにシルバーマンジムに通い始める。ジムで同級生や先生と出会い、ときにはよく分からないライバルとぶつかりながら、初めてのジムに戸惑いながらも筋肉を鍛えていく青春群像劇。という感じの物語。


画面雑感の前に、スタッフについて少し

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監督:山﨑みつえ
キャラクターデザイン:菊池愛
脚本・シリーズ構成:志茂文彦
制作:動画工房

脚本家の志茂文彦(しもふみひこ)さんは、ここ20年ぐらいずっと最前線にいる感じですね。近年だと、「NEW GAME!(2016)」「りゅうおうのおしごと!(2018)」「すのはら荘の管理人さん(2018)」などでシリーズ構成・脚本を担当。気になった方は過去作を見ることを推奨。
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画面・作画についてですが──やはり特筆すべきは、あのことですよね。お分かりの方も多いと踏む。









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ジーナが可愛かった!(完)
いやあ、やっぱねえ。アルビノ、ショートカット・ボブ、ツリ目。これでほぼ120点。ストレートヘアーで50点。ボブ×ストレートヘアーだと掛け算になるので6000点。とにかく、かわいい。他のキャラとかどうでも良くなってしまった。世界史の先生は好きだよ!やっぱり…ショートカットを最高やな!


ジーナの服/ファッション
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目を引いたのは11話のジーナの服。かわいいよね~


最近のリアルな流行としては、ボア素材のパーカーやジャケットがあるんですが、これがまあ小汚くて辟易していた。

クソダサボア

基本的にダルダルなのでスタイルがよく見えない、清潔感がない、使い古した人形みたいな色合いが多くて暗い印象を与えるの三重苦。センスもクソもあるかいな。世の女性はジーナ・ボイドを見習え。


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(だらしないひびきとの対比)


11話のジーナは、
・スキニーパンツ/濃い目のカーキ
・首元にワンポイントの無地インナー/オレンジ
・ややショートなジャケットコート/濃い目の赤



シンプルな色合いとスキニーのタイトさにより、スタイルがよく見えて濃い赤がキレイに映える。全体的に落ち着いた雰囲気になり、他の3人と比べると大人っぽくなる。
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ジャケット・コートの参照例
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これはちょっと長めだけどやっぱ胴回りのスタイルがよく見えますね
5000円って安いな~良い


こうなると、足元も気になってくるのが自然の摂理ですが、
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スニーカーかなあ、ちょっと厚底なローファーな気もする。でも、ジーナってロシア(モスクワ)に住んでたじゃん。じゃあ、けっこうしっかりした防寒靴を履いていたのではないか。つまり、ショート・ブーツの線が濃いと思う。朱色のソックスも見えてないしなあ、けっこう深めな感じ。どうだろう?

ともかくとして、ジーナはとてもかわいかった。良作でした。



画面雑感のはずが、ジーナ雑感になってしまった。

まあ、画面・作画は、
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フォロースルアンドオーバーラッピング・アクションをがっつりと意識して描かれている。このアクションは原則のようなものです。髪の毛が遅れてついてきたり、ポーズを決めたジーナは止まるけど髪の毛は左右に少しだけ動き続ける。そういうことを指します。

1つ目は、顔の前で左手にポーズを決めるじゃないですか。その前の艶やな予備動作がハラショーですよね。2つ目は、関節の動きもタイトな服によって、1つ目より少しだけ重たい感じになっている。1つ目のOPみたいに、いつも滑らかに関節描けばいいとか決して思ってない。ジーナが踏ん張るときに、お腹や左の肩・脇腹あたりが(タイトなジャケットの影響を受けながら)止まらずに少し動き続ける。これスゴイうまいよね。

この世界の片隅に(2016/劇場)



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片隅でいちばん印象に残ったのは、このカット。爆発から絵の具へにシームレスにマッチカットされていく。荒々しい筆の叩きつけは暴力的に映る。



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放射状に広がっていく焼夷弾


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機銃による攻撃で地面や木が抉られていく。この前後の機銃によって街が傷つけられるシーンは、その削られていくタイミングがきわめて光っていた。




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馬鈴薯だったっけ。この辺のシーンも好きですよ。楽しそうなすずさんがいい。


★★
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PVから大好きなワンシーン。まな板バイオリン。馬鈴薯から楽しくなってきているすずさんを見て、いいカットだなあと。レイアウトが良い。画面右のダブラシ煙や柱が、すずさんに目を向けさせる。つまり、画面の中で、「もうひとつの画面」を作っているというわけです。

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手前の柱やダブラシ煙はそういったために配置、レイアウトされている。




片隅といえば──

やはり、僕にとってはキャラデがすごいなあという映画でした。
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感覚的ですが、頭身が3、4頭身ぐらいしかないのに、なんかうまいこと写実的なアニメになっている。正確には言えないけど、少し頭の大きさなんかが変わっただけで、このカットは成立しない気がする。なんで、これでかわいらしい女の人に見えるんだろうね。


このキャラデも相まって、やはり家の中のレイアウトは相当に工夫されていた
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四畳半の居間に4、5人いて大変に面倒くさそうなレイアウトばかり。二枚目の俯瞰画面は特に良い。こじんまりとした感じの中でも、障子は開いているので、さほど窮屈になってない。レイアウトについては、相当に大変だったと思う。



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すずさんが泣いた理由、怒った理由は、他の人ほど分かってない気がする。すずさんは最後までやり切るつもりじゃなかったのかな。だから、ずっと笑っていたし、はるみちゃんと右腕を失って絵が書けなくなった後も何とかぎりぎりで生きていた。

つまり、よう戦争はしらんけど、こんな中途半端なら最初からやるなという風に、すずさんは思った。はるみちゃんと絵を失った時点で、「最後まで戦い抜く、だからすべてに耐えられた」というすずさんの言葉には偽りなく、そういう思いで生きてきた。たぶん、本当に自分一人になっても抵抗するつもりだった。

と思っていたら、終戦。もう戦えなくなってしまった。なんで、こんなにボロボロになって耐えてきたのか。そんな中途半端さに、激情した。




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この辺は圧倒的でした。ここまで、まったく残酷描写のなかった片隅において、きちんと毒というか、現実を最後にぶっ込んでくるところはすごい。すずさんもとりあえずは幸せになっていくんだろうみたいな最後でしたから、そういう安堵していたところに来ると余計に衝撃が走った。

今更ながらようやく。別件で触れる機会があり、重い腰を上げ見た次第。

主人公・スバルは、コンビニ帰りに突拍子もなく異世界へと飛ばされる。異世界でチンピラに絡まれているところを謎の銀髪少女に助けてもらい親睦を深める。ごたごたを繰り返しながらも、己のもつ変わった力で苦難を乗り越えていく。といった話。




巷ではスバルは「性格が悪い・クズ」と評判でしたが、そうとは思えなかったなあ。彼自身が死んだときに、「死に戻り」をするタイムリープ能力が発現する。この「死に戻り」のキモは、「他者にその能力のことを話すことができない」ということですよね。このことによって、彼は彼一人で問題に対処しなければいけない。少なくとも、精神的には相当キツイはず。

とあれば、13話ラストのスバルの感情爆発は受け入れられる。



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少なくとも、性格クズとかいう評価にはならない。エミリアは「また何も言ってくれないの・・・」「言ってくれなきゃ分からない」とスバルに連言するわけですが、彼は死に戻りについて喋ることができない。死に戻りによって回避した残虐な結末に至るまでの「過程」をスバルはすべて持っていますが、他の人達は覚えていない。このような状態において理解者を求めるのは当然です。しかし、エミリアによって、主従の関係も理解も否定されてしまった。ここで彼の精神は限界を迎えてしまった。

異世界に来てからスバルは自分の存在意義を、「エミリアを救うこと」に見出すしかなかった。そういう点で、感情の爆発に至るのは、当然だとおもう。少なくとも、自分ならそうなってしまう。エミリアに対して、あの状況に至り、それでも優等生のように、あるいは無機物のように感情やエゴを出さない方がよほど変に感じる。エゴをぶちまけるのを見て、なんで性格悪いとなるのかよく分からない。こういうのを見ると、毎度毎度思い出す記事があります。


アニメ視聴をつまらなくする傾向について-大匙屋

「こんな醜態を晒すヤツは嫌だ」っていう変な感情がですね、受け手側にあるんじゃないのかな。だってみんなも醜態は晒してきたはずでしょ?無様な正当化も、八つ当たりもしてきたはず、それなのにスバルを「性格クズ」とかいうのは言語道断だと思う。

僕はこれを「イイコイイコちゃん現象」って呼びたいんですけどね。みんなイイコイイコ、優等生として見られたい。そういう願望をアニメを見る際に持ち込んでしまう。つまりは、エミリアに対して、スバルみたいに傷つけたり、エゴをぶつけたりする人物にはなりたくない。彼の醜態を見たくない。そんな気持ちがあるが故に、「スバルはクズ」と評価を下してしまう。それはなんというか、キレイなところしか見たくない、みたいな部分に繋がりますよね。



さて、本題に戻ります。

これから数話に渡って、スバルが「解決することを諦める」のも然るべきかなと。彼は絶望してしまった。最大の理解者に拒まれたわけですから、そうなるのも当然。レムに対する逃避行の提案も、彼が抱えてきた精神的な負担を見ると、とても理解できる。だから、原作においてもアニメにおいても、レムが人気になる理由はよく分かりますよね。世の中の誰にだって「話せないなにか」はあるはずで、それ込みでレムは理解をしてくれた。

こういう言い方はあまり好みませんが、スバルは「シュタゲ無印において、牧瀬紅莉栖がいないオカリン」だと思えば理解は速い。あの聡明なクリスティーナがいない、助けてくれる人がいない、その辛さは想像に難くないハズ。スバルくんに対する僕の見方はこんな感じです。



物語の方ですが、まあこっちはあんまり言うことがない気がします。

4つのブロックに分けることができます。

1、盗品エルザ編
2、ロズワール邸編
3、白鯨編
4、ベテルギウス編

当時の既刊は9巻で、そこまでをアニメ化。いろいろ伏線は敷いているけれど回収できるわけもないので、とりあえずエミリアとの誤解を解きラブラブチュッチュするまでを描きたかったと思う。いちばん力を入れたのは、絶望に至るまでのスバルの行動とそこからの再起、あと白鯨戦ですね。

白鯨戦はぶっちゃけなんだろう。なんか物足りなさがあったなあ、ここは絶対見せ場ですので。400年苦しめられてきた、14年間妻への復讐に待ち焦がれた、そういったのはもう僕の勝手な願望・欲望ですけれど、もっと狂気に染まったものを見せられると思っていたので。全体的にヴィルヘルムよりレムが強く見えちゃうのは正直いただけない。

20話の滑走後の初撃は良かった。うまかった、タイミングがとくに。

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ここ誰だろう、すごく独特なタイミングでしたよね


作画的にはラスト25話の田中宏紀作画でしょう。後日、余裕があれば。

あとリゼロでは、こういった演出がよく見られた

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キャラSL(ラスト25話は+ポン寄り+OL)

これがキャラの情緒表現でよく使われていた印象
顔が隠れた部分からスタートするので、なんかうまいこといくんでしょうね

・「下ネタという概念が存在しない退屈な世界(2015)」
いやあ最後まで楽しめました。アホなタイトルだったんで、アホな世界観なのかなと思ったらそんなことはなかった。ミスリード誘うタイトルで良かった。

故・松来未祐の演技はきわだっていて、アンナの異常さを補助します。彼女のキャラは面白かった。「”正しいことをしていない”から奥間くんは自分を受け入れてくれない。だから”正しいこと”を(=卑猥なものを撲滅)すればいい」という異常さ!でも、奥間くんは狭量だな~。青も言っていましたが、憧れの人の少し嫌な側面みたくらいでそれを放棄するものなのかな。幼少期の自分を救ってくれた人で、あれだけの美少女で、自分に好意をもってくれている。アンナ先輩を諦めるのが早かった印象。だから、奥間くんにとっては、”清楚な”アンナ先輩以外ありえないんでしょうね。もうアンナ先輩ではなかった、アンナ先輩の形をしたなにかだったんでしょう。

あとは風紀委員の存在も面白かった。「卑猥なことを卑猥と理解して、取り締まれる組織」とありながら、認識がコロコロ変わってしまう。その不気味なズレ方は、けっきょく卑猥を理解していない、ということかな。アンナの保護役みたいな感じもしましたが。

「SOX(ソックス)」と「群れた布地」の反体制どうしの対比も良かったです。「群れた布地」は私利私欲のためだけにSOXに便乗するわけですから、まあ最悪ですよね。反体制なのに肩入れできない。「SOX」はテロ行為を行いつつも、致命的なテロは起こさず、あくまで健全に「卑猥さ」を社会に取り戻そうとしているのが良い。セックスは悪いことでも、汚れたことでもないですからね青の言う通り。こすりは父親の不甲斐なさで、(あんな生ぬるいやり方じゃ世界は変わらない!と)過激派になってしまった。最後は、ああこれは間違っていたと悔いていたので父親とも和解できそう。

不破さんすこ。ダウナージト目キャラってだけで、プラス5000点から始まりますね。

3.5/5.0



・「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか(2015)」
あれだろ?ヘスティアの紐だけなんだろ?と思っていたら、けっこう面白くて驚いた。
僕の勝手な想像では、ヘスティアとベルくんが二人イチャイチャしながらダンジョンを回るのかなあとか思っていたら、予想以上に作り込まれていて驚きました。1、2話のモブ作画とかちょっと異常に思うほど、描き込まれていた。ベルくんがぞんざいに扱われているシーンなので、モブも気合入れたのかな。モブを醜悪に描かないとベルくんの悲惨さが出てこないから。アクション作画もすさまじく、1話の煙から良かったですねえ。8話は三木達也タイミングがあったんで、暇があったら取り上げます。たぶんあそこのエフェクトは三木さんだ。

ところで、ベルくんは天才系なんだろうか?それとも努力系なんだろうか?いっけん努力系に見えますけど、特別なスキルの恩恵(思うだけ思うほど?みたいなやつ)はすさまじく。いやでも、あれだけの修羅場をくぐり抜けた人間を、「天賦の才があったおかげだろ」で片付けるのはダメだね。まあ、ヘスティアよりは、ロキ・ファミリアの姉妹のおっぱいが好きです。そしてベルくんも可愛いねんなあ…鎖骨と肩甲骨がセクシーです。

あとはなんだろう。暴行・グロ描写が良かったですね。地味に痛そうな感じがよくできていた。サポーターのリリルカが足蹴にされているシーンは素晴らしかった。キャラを見て胸糞悪く感じたのは久々でしたので。リリルカのエピソードは良かったですね、ベルくんの一言が至極。あれは救われる。

ベルくんへのヘスティアの愛を丁寧に描いていたのが、おそらくアニメでは珍しい。ここまでヒロインが「一緒にいたい」「ボクのものなのに」とか直接的に言うのは珍しい気がします。いや、下セカのアンナは例外ですよ。あれは異常なので。ゆがんでいない愛情の中で、自分の気持ちを素直に伝える、というのが珍しいとおもう。あ!ヘスティアがベルくんとデートにいくときの格好は、これじゃない感がすさまじかった!!!!服や髪の毛が似合ってなくてあんま可愛くねえ!!!!でも、そのデートっぽいことをしようと背伸びしている感じは可愛くてよかったです!!!!!

おっぱいはロキ・ファミリアのお姉ちゃんのほうが良い。ヘスティアのおっぱいはあれだ、ロリすぎる上に露出が多くて興奮しない。だんだん慣れてきちゃう。そういう意味ではリューさんみたくふだん着込んでいる人のほうがいいですよね。ギャップがある。二期も今夏やるそうで楽しみです(※というか1クールで終わってしまってびっくりした)。おっぱいのことしか言ってねえな。

4.0/5.0

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アイドルを志していた、さくらは玄関先でトラックとぶつかり死亡した後、巽によって、ゾンビとして復活する。巽の目的は「佐賀を盛り上げる、アイドルとして活躍してもらう」というものであった。5話まで見ましたが、よくできていたのは1~2話ですね。


とくに1話のさくらと巽の掛け合いが良かった、終始笑いっぱなしでしたよ。

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「なんで私ゾンビに…?」→「(ゾンビ映画の)あんな感じです」
「なんでアイドルに…?」→「佐賀を救うためじゃあん
「(たえちゃんに)なんかもっとこうないんですか」→「伝説の中身なきゃいかんのかーい!」

即答キッパリというのがいいんですよ。

自分がゾンビとして蘇った経緯や、アイドルになる目的を巽から聞かされるわけですが、主人公さくらは素直に受け入れているわけではない。自分がゾンビになってしまったこと、そして、警官に撃たれてしまったこと。この2点による動揺で、否応なく巽に丸め込まれる。


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さくらが巽に従ったのは、警官の発砲に因るところが大きい。発砲にビビって屋敷に戻る構造は2話の(愛・純子ちゃんコンビ)でもありましたよね。


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それに加え、意識があるゾンビは自分のみ、話せる相手は巽一人だけとあっては他に選択肢がなく。「アイドルしないといけないこと」に対する説得力が上手く出てる。このシーンのレイアウトは圧迫的なものが多くていいですね。さくらの不安さがにじみ出る。


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練習もせず、意思疎通もできない他ゾンビといきなり初ライブという状況に。ここがとくに良かったなあ、はっきりと「無理」と言い切るさくら。そうだよね~普通ゾンビになったばっかりなのにアイドルなんてできないよね。威勢よく発破をかけるだけの巽が面白い。宮野真守の熱演も光る。




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1話ラストで山田たえちゃんを除き、みんな復活しました。3話で元アイドルが参加した時点で、この物語は終わった感じがします。だってたぶん、どうやっても「アイドル」は上手くいくじゃないですか。みんな意識が戻って、元最強アイドルもいちおう参加をした。失敗する方が難しい。

山田たえちゃんが何者なのか、というのがキーなんでしょう。巽が濁した2点(「どうやってさくらはゾンビになったのか」「たえちゃんだけ二つ名がないこと」)に大きく関わるキャラクター。この子がいちばん最初に意識が戻ってても、(誰にも分からないので)おかしくないですよね。もしかしたら、ゾンビじゃないかもしれない。もしかしたら、みんなをゾンビにした張本人かもしれない。みたいな。

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きわめて良かったのは、アバン~Aパート。日常シーンはすごく良かったです。さっぱり記憶を失ってしまったユウタ、そして店の前で倒れていたユウタを助けたクラスメイトの六花ちゃん、そして「使命を果たせ」と繰り返すグリッドマンというパソコンの中のメカ。

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どういう状況なのかは誰にも分からず、かといって過度な置いてきぼりにもされずに、ユウタと同じ目線で歩める。これがいいですね。六花ちゃんは「(ユウタとは)知り合ったばっかり~」と言ってますけど、これは嘘で150%ミスリード。親密でなければ、倒れていたクラスメイトなんてのは救急車呼んで、はい終わりじゃなかろうか。自分の家のソファーや洗面所をクラスメイトの男子にそう簡単に使わせるほど、思春期の女子は脇が甘くないと考える。おそらく告白して振られたんだろうな。で、都合よく関係をリセットしてしまえと思ったんじゃないか。そうでもないと、こんな嘘はつかない。


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電柱、最初はCGかと思ってみていたんですが、作画ですね。緻密にケーブルの複雑さが描かれているのはぐっときますね。


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バレーボール事件の後、凍りつくクラス内。気まずい時間をそのまま流している。このへんの演出がすごく良かった。Aパートは相当にワクワクしましたよ。


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連続してダッチアングル。なにか良からぬことが起きようとしている。




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Bパート。電線の揺れによって、ダッチアングルと同じく、不安・不吉なことが起きそう。


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ユウタはよく分からないまま怪獣との戦闘へ。この辺から付いていけなかったかなあ正直。「使命だから」という理由だけで、なにも思い出せないけど戦う。もう少し葛藤するんじゃねえのかなあという気持ちが。いや、もちろん、そこらへんを吹き飛ばすほど、グリッドマンのデザインや戦闘がかっこよかったらいいんですけど、そうでもないので。


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ここは気づかれた方もいると思いますが、完全に増尾作画(もしくは特撮爆発)を踏襲している。白コマの入り方や爆発のタイミングがまったく同じですよね。爆発が左右に分かれて、最後にドカン。


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批判多めのBパートですが、メカニックや戦闘に対して、破片はグレイト&マーベラス。これは文句なしです、素晴らしい。いちいち貼るまでもないですが、ガラスの落下や、グリッドマン登場時の肩からこぼれる地面の破片など、細かに描写されてました。このカットでいうと、信号機の揺れとかもいいですよね、すごくフォトリアル。まあそういった、ディテールは言い出すとキリがないくらい素晴らしい。



ラストはちょっとびっくりした。壊れたはずの学校が元通りになり、そのことを覚えているのは3人だけ。この引きは上手い。4話まで見る羽目になりました。やっぱり日常シーンの方がいいなあ。すっと入っていける。戦闘シーンはどうにもなんか自分の中で盛り上がらない。

たとえば、ゲームをやるとき。一心不乱にパラメータを上げていく、とにかく早く倒す、面白い遊び方をする、ということしか頭になかった。ストーリーがいいね、このセリフがいいね、みたいなことは、ほとんど考えつかなかった。音とグラフィックが好みならば、それで満足だった。

それはゲームに限った話ではない。映像においてもそうだった。ドラえもんとジブリとディズニーを繰り返し見ていくだけだったので、飽き飽きしていたのかもしれない。「夢幻三剣士」が大好きなのは、現実と夢を行ったりきたりする──というところではなく、劇伴がとても良く、面白い画面が続き、作中のアイデアにわくわくしたからだ。



大人になってもその傾向は変わらないけれど、さいきんはやや変化が訪れたような気もする。昔なら笑って済んだ展開に泣きそうになってしまう。

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たとえば、恋愛ラボ3話の保健室のシーン。嫌がらせにマキは悩み過労で倒れ、それに気付いてあげられなかった(マキの能力に甘えていた)と自責するリコ。ぼくは最後の委員会よりも、ここが好きなんですよ。あーお互いに無理してんなー、でもそれが相手に伝わって良かったなあとか思って泣きそうになる。マキにとっては、生徒会の仕事は大したことないんだけど。リコにとっては大問題なわけ。「気付けなかった、見て見ぬふりをしていた」という点で。



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9話も同じ。サヨとエノの関係のことなんだけれど、小学生時代のエノの友達アンケートとかきっとサヨにとってはどうでもいいことじゃん。でも、エノはすげえ気にするわけ。気にするってことは、やっぱ心のどこかで「こいつ変だけど仲良くしたいな」みたいな願望がある。図書館で「こうやって話すのは榎本さんだけ」って言われたのがエノにとっては、相手を裏切った感覚になった。だから、職員室に行ってわざわざ訂正までした。エノは、自分の心に嘘を吐きたくないわけよ。友達アンケートの結果なんてサヨにバレるわけでもない、でも相手が自分を友達と思って書いてくれたんだったら、たとえただのアンケートとはいえ、紙切れとはいえ、裏切ったとなってしまう。だから、先生に訂正を求めた。

つまるところ、相手が大変か・重要かどうか、なんてのは関係ないんですよ。自分が相手をどう思って、大変かどうか判断するのが彼女たちにとっては大事なんです。それが、おそらく良心と呼ばれるものなんだろうけれど。そういった繊細さにさいきんは泣きそうになることが多い。

爆発疲れを起こしているので、とりあえず最新アニメに。

配信で「はねバド!」というアニメが面白いと聞きまして、少し見ています。アヤノという天才バドミントン少女と、凡人の努力家ナギサを中心に描かれていく、王道のスポコンアニメ(かな?)。OPはさわやかでいいですね、アニメを見ているみなさんが過ごせなかった青春といった感じがします。心を掴んだのは、1話のアバンです。よくできている。



<1話アバン>
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ラリーの応酬の中で響くはバドミントンの打音のみ。こういう彼女たちの狭い世界、当事者である彼女たちにしか理解できない世界が描かれているのが好み。すごくいい。短いショットを繋げていくことで、バドミントンというスポーツの慌ただしさを伝えている。シャトルが瞬間的にぐしゃあとなることは、一見軽そうに見えるラリーに複数の意味を付与していますよね。この試合じたいもそうですが、ナギサの絶望感、なにをやっても返されてしまう重たい雰囲気。それらを表現している。



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ナギサとアヤノの打ち合いをローポジションで回り込み。3話まで見た中だと、このカットが攻防の魅せ方ではいちばん良かった。おそらく、短いカットの連続は小気味良いリズムを生むのですが、それと同時に打ち合いのすべてを見ることができない。彼女たちが、シャトルを拾いに行くまでに、スマッシュを打つまでに、どういった動きや判断があるのか、そういった過程がスポーツの醍醐味ですので、このカットは光っている。


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スランプから抜け出せず半ば八つ当たりのようなスパルタを課すナギサに対し、ユカがキレるシーン。ここギズギスしてて良かったです。2カット目でユカが煽った後に、3、4カット目でナギサが無言でユカの元へ。ネットをくぐって一直線というのがいいですよね、激しい怒りが伝わる。5カット目ではリコが2人の仲裁に入りますが、やや引きの絵に。この後、ナギサに一度寄ってから、傍観者の男子部員と、ユカ派閥女子部員、微妙なラインの女子部員を一周して映すので、そのための準備だったのかな。周りが見えてないナギサに対して、こんだけやべえ状況だと示す。



<3話の風邪移うつしクソレズ/テンポ>
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カオルコちゃんとの回想シーン。カオルコPOV(2カット目)から次のカットまで大胆に省略していますね。ここは要するに、無理やりクソレズから風邪をうつされた結果だけわかりゃいいんで。お見事でした。



ストーリーは特に言うことないかなあ。僕は最初イライラして、ビンタしたれや親友ならとか思ったんですが。リコやエレナがそれぞれの親友に対して、ビンタして正論を言えばいい、というのは理想論でしかないんですよ。彼女たちは誰よりもナギサとアヤノの辛さを知っているはず。であるならば、なおさら言えない。正論では人は動かないことが多いし、問題も解決しない。2話で金髪コーチがやったように、本人が自覚しないと問題は解決しない。

気になるのは、「フィクションにおける天才はなぜ主体性に欠けるのか」ということです。誰か書いてくだぱい。

「このすば」から見る、アニメのテンポ 
映像における「テンポ」とは、割とこれで詰められた。2つポイントがあって、「予測」と「省略」でした。僕らが予測できる部分において、予想以上の映像が流れなければ、それはテンポが悪くなってしまう。逆に、上手いこと省略したり、予想以上の映像を流し込めば、それすなわちテンポが良くなっているということだろうと。


それで、「テンポが目に見える」例があるので紹介したい。

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これは「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」という映画の中のいち場面です。まあこの物語は手っ取り早く言うと、親の離婚を認められずに、家出した主人公は食っていくために詐欺師になった。そんで、家族を取り戻すためにお金を貯めていたんだけれど、現実上手くはいかなかった。

この場面では既に刑事に捕まって飛行機に乗せられている。それで、刑事から父親が亡くなったと伝えられる。家族という関係が無理になってしまい、もう絶望して飛行機から脱走するわけです。尊敬していた両親なわけですから。そうなると、もうすることは一つで、母親の元に向かうしかないじゃないですか。親はもう母親しかいない。次のカットの入り方が凄い。

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何を伝えたいか明確でしょう。カットの繋ぎだけで言えば、飛行場から直に母親の家に来ている。どうやって警察の包囲網を掻い潜ったんだとか、整合性は取れないかもしれないけれど、そんなものは大きなメッセージの中では気にならない。アニメ・映画によくある無駄な回想シーンなんかは必要ない。実際、そこに至った時点で示せばいいんだから。

それで、彼の家族というものは、とうの昔にとっくに崩壊していた。その事実からずっと目を背け続けていた。無垢な少女と窓越しに話す中で、主人公はその事にやっと気付くわけです。それで、もうどこへでも連れて行ってくれとなる。見てる方は、間髪入れずにカットとお話が進むもんだから没入する。没入すれば、それはつまり、自然なテンポで流れていきますよね。呼吸がお互いに合っているというか。

突き詰めると、「テンポ」とは「冗長にする必要がないところはバッサリと切るか否か」、という事にほとんどは帰結すると思います。もう少し正確に言えば、「予測できる部分は省くか、予測を裏切る映像を作るか」です。誰だって長々としたお説教なんて聞きたくないわけですから。整合性の恐怖のために、いろいろ省けない映像が多い。あとは、極めて正確に伝えたいがために、回想や無駄なシーンが多い映像も多いなあというのが最近の映像に対する感想です。だからといって、回想省いて小刻みなカット割で必ずテンポが良くなるかと言うと、そうでもない。

「進撃の巨人」は、2010年代どころか、21世紀を代表する漫画になるだろうなと半ば確信している。




同系統、未知なる力・強大な力へと挑む「亜人」「モンキーピーク」「自殺島」なども十分に面白い作品である。しかし、これらは、ある種、キャラクターの行動が完璧すぎる。きちんとキャラクターがそつなく動き、そつなく失敗する。別にこれらの作品を貶める意図はないが、どこかしら、完璧さが際立つ。そこが、進撃との最も大きな違いである。

進撃の巨人は、どこか不安定さを含んでいる。エレンを想いすぎ、間接的にリヴァイを傷つけてしまうミカサ。アルミンを助けたいがばかりに、上官に刃を向けるエレン。不完全で不安定な感情や雰囲気を背負った、この作品は、そのおかげで、リアルなものとなっている。

感情によって揺り動かされ、時には成功し時には痛手を得る。こういったものは説得力を増す。ついぞ、エルヴィンは、自分の仮説を検証したがっていた。地下室への渇望があった。一度こそ揺らいだものの、リヴァイの説得により、戦場で死ぬ。

このような葛藤こそが、リアリティあふれる描写であり胸踊る要因ではないか。また、これが正しいと思われる選択がないのがいい。寄生獣も、正しい選択などない中で、選択を迫られ決断をする。失敗したり、後悔したり、嬉々と喜んだり、成功したり、人生そのものの本質が選択であると突きつけられているようだ。

不安定さ、未熟さ、不完全さ、こういったものを含んだ等身大のキャラクターの動きは、身近なものだ。身近なものはリアルさを醸し出し、そのリアルさが説得力を生み、説得力が没入のきっかけとなる。ああ、よく考えてみれば、エヴァなんて、その典型ではないだろうか。1ページで心踊る作品など、今しばらく見ていなかった。

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