
いい映画ですよね~
あまり仔細に語るのも無粋かもしれませんが
あの段階に至るまでに、ティマの感情・認識はいろいろな変遷をしています。
これを追っていくのが大事です。
あの段階に至るまでに、ティマの感情・認識はいろいろな変遷をしています。
これを追っていくのが大事です。
ケンイチと出会う前(誕生したとき)→いっさいの感情を持たない、アイデンティティも持たない人造人間(※ティマの自己認識は人間です)
ケンイチと出会った後→感情をもち、ケンイチに信頼を寄せる(※ティマの自己認識は人間です)
つまるところ、ティマにとって、ケンイチは自分のアイデンティティの半分以上を占めていました。その後で、ティマとケンイチは離れ離れとなり、自分が人間ではないと知らされます(※雪のシーン、レッド公の息子ロックから)。それでもなお、自分は感情があり人間であるとティマは信じている。ティマは葛藤します、ティマの自己認識は、ロボットと人間との間で葛藤するのです。自分を人間と信じるティマは、ケンイチに会いたがります。それは、レッド公に連れていかれた後の一室ぜんめんに敷き詰められように書かれた「ケンイチ」の文字の異常さによって示されています。
最も重要なのは、「超人の間」のシーンです。ロックに撃たれた箇所から、機械が露出します。ティマはさんざんに自分は人間なのか、ロボットなのか、葛藤をしてきました。機械が露出してしまったので、ティマは自分をロボットと認めざるを得ない。ケンイチと同じではない。自分はロボットであり、先程までレッド公が言っていたすべてを認めざるを得ない。オイルの涙を流します。
「人類はいらない」とすぐさまに判断した超人ティマを、ケンイチはなんとかその台座から引っ剥がします。しかし、「人類はいらない」という判断は消えておらず、その身でケンイチを殺害しようとする。最後の最後、ケンイチに引き上げられながら、ティマはいちぶ作動が戻ります。しかし、その作動や修復は不完全なもので、最初の記憶(1*)しか復元できませんでした。
1*…ケンイチ「自分のことは、ワタシっていうんだ」というティマとの会話
そこで、「ワタシはダレ…?」というティマのセリフになります。「ティマが人造人間である」ということについては、視聴者にさいしょからネタバラシされています。ただ、「ティマが自分をどう認識するのか」についてはいっさい明かされていない。この作品は、ここが肝心なのです。ここがテーマなのです。だから、ぼくらは、ティマと同じスピードでそれを追っていきます。
自分のことを人間だとずっと思っていたティマが、自分は世界を壊す危険なロボットと知る。人間がレイシズムを持って接してきた、あのロボットたちと同じであると知る。感情を失いすべて機械になってしまったかと思えば、もう一度、正常に戻り記憶が戻ってしまう。それも不十分な形で。人間たちに振り回された、この理不尽さが悲しく刺さるのです。
つまり、これは、ティマの自分に対する認識の話なのです。
1、ケンイチと同じ人間だと思っていた
2、機械とロックから知らされた時点で「自分は人間なのかロボットなのか」の疑問が発生
3、超人の間において、皮膚から機械が露出して、自分はロボットだと確信してしまった
4、超人の間から引っ剥がした後は、認識の葛藤がなくロボットとして動く
5、ラストにおいて、感情の機能が戻り、認識の葛藤が再開してしまう
「ワタシはダレ…?」というセリフは直接的には、単にケンイチとの最初の会話です。ただ、これだけの認識の変遷があるので、視聴者側はこのセリフを単純に受け取りません。いや、受け取れません。この女の子はダレだったんだろう、なんだったんだろう。人間の勝手な意図で作られ、人間のエゴで殺される。この女の子はなぜこのような理不尽な道を通ったんだろう。
ロボットを忌避・排除しながらも人造人間を作ってしまった人間(レッド公たち)のエゴと、ケンイチとティマのきわめて無垢でまっすぐな信頼関係が対比されることも一因ですネ。同時期に公開された、「A.I.(2001)」との比較がもっぱらですが、ぼくはあっちを見るのが本当に辛くてですね。宇宙人によって望みを叶えてもらうシーンとか。
こう考えると、ようできとる映画です。メトロポリスは。
つまり、これは、ティマの自分に対する認識の話なのです。
1、ケンイチと同じ人間だと思っていた
2、機械とロックから知らされた時点で「自分は人間なのかロボットなのか」の疑問が発生
3、超人の間において、皮膚から機械が露出して、自分はロボットだと確信してしまった
4、超人の間から引っ剥がした後は、認識の葛藤がなくロボットとして動く
5、ラストにおいて、感情の機能が戻り、認識の葛藤が再開してしまう
「ワタシはダレ…?」というセリフは直接的には、単にケンイチとの最初の会話です。ただ、これだけの認識の変遷があるので、視聴者側はこのセリフを単純に受け取りません。いや、受け取れません。この女の子はダレだったんだろう、なんだったんだろう。人間の勝手な意図で作られ、人間のエゴで殺される。この女の子はなぜこのような理不尽な道を通ったんだろう。
ロボットを忌避・排除しながらも人造人間を作ってしまった人間(レッド公たち)のエゴと、ケンイチとティマのきわめて無垢でまっすぐな信頼関係が対比されることも一因ですネ。同時期に公開された、「A.I.(2001)」との比較がもっぱらですが、ぼくはあっちを見るのが本当に辛くてですね。宇宙人によって望みを叶えてもらうシーンとか。
こう考えると、ようできとる映画です。メトロポリスは。
最近グッと来た爆発(2-3月編)と、「メトロポリス」の村木靖作画
お久しぶりのエフェクト記事です。
・「咲-Saki-全国編(TV/2014)」 13話

佐々木政勝作画。画面を覆ってからの炎の消滅が美しい。昔はもうちょっとゆっくり目に消えていっていたんだけれど、新ドラ辺りからややタイミングが早くなったような。「咲-Saki-」や「ドラえもんズ」での政勝さんの仕事はいつか取り上げたいところ。
・「ソードアート・オンラインⅡ(TV/2014)」 21話

柳作画かも(※推測)。クロス光からの、爆煙作画。このカットでは流線的に影のディテール(ギザギザした奴)が入っているんですが、これが煙に立体感を出していて上手い。あとは影2色使って、全体のフォルム丸ごと動かしてるところで写実性を補っている。

これは誰だか分かんないけども、すごく良い残存煙。1カット目、奥になるほど煙は濃くなってる所や影の付け方にとても説得力がある。少なめのディテールなんだけど、立体感や写実性が出ていて最近のお気に入り。全体をじわっと動かしてる所がいいのかなあ。本当に上手い。
・「四月は君の嘘(TV/2015)」 後期OP

もこもこ雲。普段は背景的な存在である雲をセルで描くことで、雲にやわらかさを出している。またメルヘンチックなシーンに合うような、爽やかな色彩もまた素晴らしい。
・「ブラック・ブレッド(TV/2014)」 11話

黒田作画(※推測)。 湧き上がるような煙の発生や、その場に留まる残存煙がじわあと広がっていくのが上手い。特に中央の煙は後ろ(画面右方向)に流れながら広がっていくことによって、煙自体が持つ動くエネルギーと、気流を表現しているのが良い。
さて、「メトロポリス」というのは2001年に公開されたアニメ映画です。りんたろう監督作品。大友克洋が脚本を、名倉靖博が総作画監督を務めました。自分はお話から映像まで大変好きでして、特に気に入っているのがラストに都市が崩壊していくシーン。この爆発、煙、破片はまあ見事です。
・「メトロポリス(劇場/2001)」

密度が高い爆煙作画。最初は熱を持っているので、爆煙は透過光から始まり、だんだんと外気によって冷やされていくに従って、オレンジから濃い灰色へと変化していきます。ホイップクリームが押し出されるかのように、展開していく煙の動きが上手い。触手煙も空気の抵抗を感じさせながら落下していく。

細かい破片と、一挙に画面全体に広がる煙が魅力的なシーン。カットの最後で重そうな破片が落ちて、煙がぶわあっと広がる。後ヅメ(参照)がとても効いている作画。また奥の煙がパッパッと瞬間的に広がっていった後、じんわりと留まるのもまた上手い。

ここはまずレイアウトの奥行きさが良い。そして、奥からドドドンとこちらに向かってくる炎の横を、地面をえぐりながら広がる爆発と破片がいいんですよねえ。爆風によって後ろにはじかれる破片と、前に押し出される破片とがあり、とてもリアル。この爆発と破片が迫ってくる同時進行さが、臨場感を増していて素晴らしい。

落下するビルのパーツと、それによって発生する煙。煙にいくつかの層があり、その層ごとに影をつけているのが特徴的で、キノコ雲(核爆発)のようなリアルさがあります。また、細かく散乱する水しぶきのような煙の発生と消滅が美しい。

地上でモクモクと煙が広がりながら、上から大量の破片が降ってくるシーン。モクモクと広がっている煙の奥で、いきなり発生する爆煙がいいです。また、大量の破片と煙とで、画面の密度は非常に高いシーンになってますが、画面の奥に破片の大部分を降り注がせ、手前には少しだけ散らすという情報量の制御がまた上手い。

これまた大量の破片と煙のシーン。中央の煙が広がる前に、地上で衝撃波が起きているのが上手い。煙の展開による空気の流れが分かるし、煙がまさにこれから広がるという前兆・予兆にもなっているのが良いです。そして、やはりその場で残存している煙のじんわりした描き方が素晴らしい。
これらのエフェクトシーンを描いたのが、村木靖という人なんですが、まあ「村木サーカス」の存在で知っている人も多いと思います。彼のエフェクトはとても写実的で好きなんですが、サーカスばかり話題になってしまって、触れられてないかなあと思い、今回少しだけですが取り上げました。村木エフェクトは、特に煙がいいです。決してディテールは多くないのに、リアルなとこがいい。
・「咲-Saki-全国編(TV/2014)」 13話

佐々木政勝作画。画面を覆ってからの炎の消滅が美しい。昔はもうちょっとゆっくり目に消えていっていたんだけれど、新ドラ辺りからややタイミングが早くなったような。「咲-Saki-」や「ドラえもんズ」での政勝さんの仕事はいつか取り上げたいところ。
・「ソードアート・オンラインⅡ(TV/2014)」 21話

柳作画かも(※推測)。クロス光からの、爆煙作画。このカットでは流線的に影のディテール(ギザギザした奴)が入っているんですが、これが煙に立体感を出していて上手い。あとは影2色使って、全体のフォルム丸ごと動かしてるところで写実性を補っている。

これは誰だか分かんないけども、すごく良い残存煙。1カット目、奥になるほど煙は濃くなってる所や影の付け方にとても説得力がある。少なめのディテールなんだけど、立体感や写実性が出ていて最近のお気に入り。全体をじわっと動かしてる所がいいのかなあ。本当に上手い。
・「四月は君の嘘(TV/2015)」 後期OP

もこもこ雲。普段は背景的な存在である雲をセルで描くことで、雲にやわらかさを出している。またメルヘンチックなシーンに合うような、爽やかな色彩もまた素晴らしい。
・「ブラック・ブレッド(TV/2014)」 11話

黒田作画(※推測)。 湧き上がるような煙の発生や、その場に留まる残存煙がじわあと広がっていくのが上手い。特に中央の煙は後ろ(画面右方向)に流れながら広がっていくことによって、煙自体が持つ動くエネルギーと、気流を表現しているのが良い。
さて、「メトロポリス」というのは2001年に公開されたアニメ映画です。りんたろう監督作品。大友克洋が脚本を、名倉靖博が総作画監督を務めました。自分はお話から映像まで大変好きでして、特に気に入っているのがラストに都市が崩壊していくシーン。この爆発、煙、破片はまあ見事です。
・「メトロポリス(劇場/2001)」

密度が高い爆煙作画。最初は熱を持っているので、爆煙は透過光から始まり、だんだんと外気によって冷やされていくに従って、オレンジから濃い灰色へと変化していきます。ホイップクリームが押し出されるかのように、展開していく煙の動きが上手い。触手煙も空気の抵抗を感じさせながら落下していく。

細かい破片と、一挙に画面全体に広がる煙が魅力的なシーン。カットの最後で重そうな破片が落ちて、煙がぶわあっと広がる。後ヅメ(参照)がとても効いている作画。また奥の煙がパッパッと瞬間的に広がっていった後、じんわりと留まるのもまた上手い。

ここはまずレイアウトの奥行きさが良い。そして、奥からドドドンとこちらに向かってくる炎の横を、地面をえぐりながら広がる爆発と破片がいいんですよねえ。爆風によって後ろにはじかれる破片と、前に押し出される破片とがあり、とてもリアル。この爆発と破片が迫ってくる同時進行さが、臨場感を増していて素晴らしい。

落下するビルのパーツと、それによって発生する煙。煙にいくつかの層があり、その層ごとに影をつけているのが特徴的で、キノコ雲(核爆発)のようなリアルさがあります。また、細かく散乱する水しぶきのような煙の発生と消滅が美しい。

地上でモクモクと煙が広がりながら、上から大量の破片が降ってくるシーン。モクモクと広がっている煙の奥で、いきなり発生する爆煙がいいです。また、大量の破片と煙とで、画面の密度は非常に高いシーンになってますが、画面の奥に破片の大部分を降り注がせ、手前には少しだけ散らすという情報量の制御がまた上手い。

これまた大量の破片と煙のシーン。中央の煙が広がる前に、地上で衝撃波が起きているのが上手い。煙の展開による空気の流れが分かるし、煙がまさにこれから広がるという前兆・予兆にもなっているのが良いです。そして、やはりその場で残存している煙のじんわりした描き方が素晴らしい。
これらのエフェクトシーンを描いたのが、村木靖という人なんですが、まあ「村木サーカス」の存在で知っている人も多いと思います。彼のエフェクトはとても写実的で好きなんですが、サーカスばかり話題になってしまって、触れられてないかなあと思い、今回少しだけですが取り上げました。村木エフェクトは、特に煙がいいです。決してディテールは多くないのに、リアルなとこがいい。
「CANAAN(2009/TV)」 感想
OPで興味を持った次第。(※作画言及だけ見たい人は、後半を見てくれれば)
TVアニメ「CANAAN」公式サイト
佐藤雅弘のOP作画を見てから、CANAAN自体に興味が湧いたので。
個人的には、「SAC」と「フルメタ」を足した感じの作品でしたよ。
フルメタの要素としては、カナン本人。
SACの要素としては、社会的な利権の構造やら。
消えた村のビジネス利用とか、NGOおばさんの外交とか、そんなとこですね。
原案:奈須きのこ、構成、脚本:岡田麿里というフェイトSNタッグの脚本面。
作画面は、監督:安藤真裕。コンテ(3.5.7):岡村天斎。
そういや安藤姓もメーター多いですよね。
天斎コンテ回はやっぱいいですね。スピード感が違う。
感想ですが、もっとガンアクション、戦闘シーン多めの方が良かった。
#1,2見て、スゴい感動したんですよ。
うお、すげーこんな動いて、こんなアクション派手なのかと。
したら、それ以降は説明パートが多くなっていっちゃって、
ほぼ三文字(※韓国・中国系のアニメの人)原画オンリーも2話ぐらいあったかなあ、

そんな悪くはないですけど、作画的には楽な方の回でした。
まあ、三文字オンリー原画とか今回初めて見たんですけどNE。
でも、このクオリティ保てるのはスゲーなあ。
お話の方ですけど、三つ巴のような形に、利権が絡んだ少し複雑な説明が、
きのこ調の小難しいセリフとして乗っかってくるので、一見少し分かりづらい。
つーか分かりにくい。


「カナン」「大沢マリア」「蛇(アルファルド)」、この3つを中心として、物語は展開されます。
ここに、NGOおばさんとか、サンタナサイドとか乗っかってくるので、ますますカオス。
最初は、事態を飲み込めないマリア目線でお話が進んでいきます。

だけど当然、見る側はマリアの目線だけではなくて、NGOおばさんとか、サンタナとか
色んな目線で見れるわけで、常にマリアの上に立って進行を見守れる。
そこに、置いてけぼりにされてない安心感を感じるわけです。
それでいて、謎はうまく隠して、見る側を食い付かせる。
まあそれでも、1クールでやるには大変じゃなかったのかなあ。
最終話まで見て分からなかったのは、マリアとカナンの過去ですね。


二人がどんな風に出会ったのか、時を過ごしたのかの描写がもっと欲しかった。
描写はあるにはありますけど、流石に少なすぎる。
カナンがマリアに心を許したきっかけとか知りたいんですよ。
後は、カミングズらがいなくなった後の、「蛇」を描いて欲しかったですね。


何か自然消滅的な感じで、それはないだろうと。
「ダイダラ社」という、隠れ蓑にも社員やら戦闘員やらはいるわけでして。
彼らのその後をきちんと描くべき。
原作は、チュンソフトのゲームということで。
wiki程度の知識なんですが、もっと原作は違うものみたい。
渋谷がメインの舞台だし、カナンとか出てきませんしね。
アニメはスピンオフな感じ。
テーマは、「目」ですね。これは間違いないと思う。

共感覚を持つカナンには、全てが見通せます。
その人固有の色から、人の感情もすべて色で見える。
だから、カナンは全てを見通してるつもりなんだけど、
実はそうではないということが、8話で共感覚を一度失ってはじめて理解します。
「ありのままを見つめろ」というシャムに言われた言葉を思い出し、気付くわけです。


その一方で、マリアも「カメラのレンズ」を通して色んなものを見る。
だけど、本当に嫌なことからは目を背けたりするんですね。
ウーアウイルスの感染者の死体とか。カナンの気持ちとか。
本当は見なきゃいけないことがあるのに、自分を騙したままで見ようとしない。
だから、アルファルドから「お前は欺瞞だ」と言われるわけです。
最後には、アルファルドに写真を撮っていいか(=真実と向き合う)と聞くに至るまで
自分から逃げずに、正直になります。
カナンもマリアも見なきゃいけない現実、事実、状況に向き合うようになるんですね。


皮肉にも、実はシャムが死んだ日から、いつも冷酷非情なアルファルドが
何も向き合って来なかったというのが、最後に判明します。
過去にすがることで、自分を騙していたんですね。
アルファルドがシャムを殺したのは、多分カナンへの嫉妬からなんでしょうが、
それも全部カナンに責任転嫁しようとする。防衛本能の合理化ですね。
お前があの場にいなければ、シャムは死ぬことは無かった、と自分の心を守ってます。
フラワーガーデン計画は、アメリカのCIAと「蛇」が行った人体実験です。
CIAとしては、ウーアウイルスが臨床実験がしたかった。
「蛇」は、第二のカナンを作り出したかった。
というわけで、両者の利害は一致してたわけです。
ですが、アメリカの外交にとっては、隠しておきたい事実でも当然あります。


対テロ国際会議で、アメリカの大統領が「ラブアンドピース」と声高に主張した後に、
アルファルドが「対テロ国際はお遊び」と皮肉るのは、こういうわけがあるんですね。
結局、テロを利用したくせに、お前ら何言ってんだと。

NGOおばさんがやってるのは、表ではカナンの依頼主ですが、
本当はアメリカへの脅しと、それによって外交を日本ペースでやることが目的です。
サンタナに餌をやり、消えた村事件(=フラワーガーデン計画)を表舞台に出すことで、
唯一抗ウイルス薬の開発に成功した製薬会社の大沢賢治の力をアピールする。
これで、抗ウイルス薬を武器に、アメリカに強く出れるというわけですね。
ここが、社会派アニメの代表作SACぽいたる所以です。
村井ワクチンが製薬会社の利権によって潰された事実を、笑い男が表に出そうとし、
利権の恩恵を受けている製薬会社、医師会は隠そう必死になる構造と同じなんですね。
SACでは、純粋にその事実に怒って笑い男は行動しますが。


で、NGOおばさんは、外交の損得しか頭にありませんから、
アルファルドからボナー(ウーアに感染し、特別な能力を持った人)実験のデータをもらうと、
カナンらがいるのに、早々に「ファクトリー」の攻撃を依頼する
だから、実は劇中では一番利口かつ冷酷な人物で、アルファルドがかわいく見える。
エリート官僚おそろしや、といったとこでしょうか。
だけど、いかんせん、この利権と外交の構造が劇中ではわかりにくい。
神山監督の脚本とかシリーズ構成はスゲエうまかったんだなあと、改めて思います。
ウイルス利権をめぐる話題も、分かりやすいように説明するにはやはり少し尺が足りない。
カナンとマリアの過去も含めて、2クールあれば…とは感じずにはいられないませんね。
でも、カナンに主題を置くのか、社会的な話題に主題を置くのかで、
物語のテイストは大分変わってくるので難しいですね。
そういう意味でも、SACはすんげえ上手いんだなあと。
キャラを立たせて、少し入り組んだ話も分かりやすく説明ってのは意外とすご技。
そういや、神山監督って今何してるんでしょうかね。
作画の方ですけど、良かったのは#1.2.5.7.11.13かなあ。
特に最初の二話は、前にも言ったようにスゴく良かった。
モブはこれでもかというぐらい手書きで動かすし、エフェクトもいい。
アクションカットや映像の情報量も多くて楽しい。
最初に異国の世界観をきちんと描写するので、スムーズに入っていける。
今作の特徴の一つとして、CG処理された背景があります。
このコントロールルームのシーンは、パースは画面が引くにつれ、
ちょっと俯瞰になっていきます。
つまり、パースが変わってくるわけですね。
だから、普通の背景では対応できないので背景をCG処理します。
具体的には、パースが変わる所のテクスチャを何やかんやするらしいですが、
素人にはそこまで分からん。
まあとにかく、CG背景はめちゃ多いです。
また爆発、煙といったエフェクトに関してもCGが多用されています。
アルペジオみたいなオールCGではありませんが、エフェクトの9割はCGです。
ですが、少しまだ手書きには及ばないかなあという印象。
ぬるぬるしすぎてアニメで培われてきたタイミングとかが、どうしても出せない。
メカの方はそこそこ上手くいってる気がしますけど、
エフェクトのCGはまだまだ違和感ありますね。
作画としては、このランランのビールを開けるシーン。
これが上手いなあと思ったので。
地味ですけど、細かい仕草が再現されててスゴい。
栓を抜いた後、手に栓が残っているのが分かるんですよね。
うおっ、細けえとこまでスゲーと。
後は、細かいディテールと各戦闘シーンですね。
ここはもう言うことなしで、素晴らしいです。


(#7 戦闘機内部のディテール)


(#7 戦闘機本体のデザインワークとエンジンのデジタル表現、爆弾のディテール)


(#5 着弾時の煙、CGではない煙のうちの一つ)


(#6.10タイトルカット きのこらしい当て字遊び。実は毎回エンドで出される)


(#13 戦闘シーン)
後は、佐藤雅弘パートですね。(後でgif追加します)
アルファルドが輸送車から逃げるシーン。
これは良かった。アクションの申し子です。
SACとかフルメタが好きな人は楽しめるんじゃないのかなあ。
後は、フェイト・ゼロとかですかね。
見てなくて言うのもアレなんですが、多分これに近い。
きのこ調のセリフが嫌だと感じなければ、楽しめると思う。
まあそんな感じです。
TVアニメ「CANAAN」公式サイト
佐藤雅弘のOP作画を見てから、CANAAN自体に興味が湧いたので。
個人的には、「SAC」と「フルメタ」を足した感じの作品でしたよ。
フルメタの要素としては、カナン本人。
SACの要素としては、社会的な利権の構造やら。
消えた村のビジネス利用とか、NGOおばさんの外交とか、そんなとこですね。
原案:奈須きのこ、構成、脚本:岡田麿里というフェイトSNタッグの脚本面。
作画面は、監督:安藤真裕。コンテ(3.5.7):岡村天斎。
そういや安藤姓もメーター多いですよね。
天斎コンテ回はやっぱいいですね。スピード感が違う。
感想ですが、もっとガンアクション、戦闘シーン多めの方が良かった。
#1,2見て、スゴい感動したんですよ。
うお、すげーこんな動いて、こんなアクション派手なのかと。
したら、それ以降は説明パートが多くなっていっちゃって、
ほぼ三文字(※韓国・中国系のアニメの人)原画オンリーも2話ぐらいあったかなあ、

そんな悪くはないですけど、作画的には楽な方の回でした。
まあ、三文字オンリー原画とか今回初めて見たんですけどNE。
でも、このクオリティ保てるのはスゲーなあ。
お話の方ですけど、三つ巴のような形に、利権が絡んだ少し複雑な説明が、
きのこ調の小難しいセリフとして乗っかってくるので、一見少し分かりづらい。
つーか分かりにくい。


「カナン」「大沢マリア」「蛇(アルファルド)」、この3つを中心として、物語は展開されます。
ここに、NGOおばさんとか、サンタナサイドとか乗っかってくるので、ますますカオス。
最初は、事態を飲み込めないマリア目線でお話が進んでいきます。

だけど当然、見る側はマリアの目線だけではなくて、NGOおばさんとか、サンタナとか
色んな目線で見れるわけで、常にマリアの上に立って進行を見守れる。
そこに、置いてけぼりにされてない安心感を感じるわけです。
それでいて、謎はうまく隠して、見る側を食い付かせる。
まあそれでも、1クールでやるには大変じゃなかったのかなあ。
最終話まで見て分からなかったのは、マリアとカナンの過去ですね。


二人がどんな風に出会ったのか、時を過ごしたのかの描写がもっと欲しかった。
描写はあるにはありますけど、流石に少なすぎる。
カナンがマリアに心を許したきっかけとか知りたいんですよ。
後は、カミングズらがいなくなった後の、「蛇」を描いて欲しかったですね。


何か自然消滅的な感じで、それはないだろうと。
「ダイダラ社」という、隠れ蓑にも社員やら戦闘員やらはいるわけでして。
彼らのその後をきちんと描くべき。
原作は、チュンソフトのゲームということで。
wiki程度の知識なんですが、もっと原作は違うものみたい。
渋谷がメインの舞台だし、カナンとか出てきませんしね。
アニメはスピンオフな感じ。
テーマは、「目」ですね。これは間違いないと思う。

共感覚を持つカナンには、全てが見通せます。
その人固有の色から、人の感情もすべて色で見える。
だから、カナンは全てを見通してるつもりなんだけど、
実はそうではないということが、8話で共感覚を一度失ってはじめて理解します。
「ありのままを見つめろ」というシャムに言われた言葉を思い出し、気付くわけです。


その一方で、マリアも「カメラのレンズ」を通して色んなものを見る。
だけど、本当に嫌なことからは目を背けたりするんですね。
ウーアウイルスの感染者の死体とか。カナンの気持ちとか。
本当は見なきゃいけないことがあるのに、自分を騙したままで見ようとしない。
だから、アルファルドから「お前は欺瞞だ」と言われるわけです。
最後には、アルファルドに写真を撮っていいか(=真実と向き合う)と聞くに至るまで
自分から逃げずに、正直になります。
カナンもマリアも見なきゃいけない現実、事実、状況に向き合うようになるんですね。


皮肉にも、実はシャムが死んだ日から、いつも冷酷非情なアルファルドが
何も向き合って来なかったというのが、最後に判明します。
過去にすがることで、自分を騙していたんですね。
アルファルドがシャムを殺したのは、多分カナンへの嫉妬からなんでしょうが、
それも全部カナンに責任転嫁しようとする。防衛本能の合理化ですね。
お前があの場にいなければ、シャムは死ぬことは無かった、と自分の心を守ってます。
フラワーガーデン計画は、アメリカのCIAと「蛇」が行った人体実験です。
CIAとしては、ウーアウイルスが臨床実験がしたかった。
「蛇」は、第二のカナンを作り出したかった。
というわけで、両者の利害は一致してたわけです。
ですが、アメリカの外交にとっては、隠しておきたい事実でも当然あります。


対テロ国際会議で、アメリカの大統領が「ラブアンドピース」と声高に主張した後に、
アルファルドが「対テロ国際はお遊び」と皮肉るのは、こういうわけがあるんですね。
結局、テロを利用したくせに、お前ら何言ってんだと。

NGOおばさんがやってるのは、表ではカナンの依頼主ですが、
本当はアメリカへの脅しと、それによって外交を日本ペースでやることが目的です。
サンタナに餌をやり、消えた村事件(=フラワーガーデン計画)を表舞台に出すことで、
唯一抗ウイルス薬の開発に成功した製薬会社の大沢賢治の力をアピールする。
これで、抗ウイルス薬を武器に、アメリカに強く出れるというわけですね。
ここが、社会派アニメの代表作SACぽいたる所以です。
村井ワクチンが製薬会社の利権によって潰された事実を、笑い男が表に出そうとし、
利権の恩恵を受けている製薬会社、医師会は隠そう必死になる構造と同じなんですね。
SACでは、純粋にその事実に怒って笑い男は行動しますが。


で、NGOおばさんは、外交の損得しか頭にありませんから、
アルファルドからボナー(ウーアに感染し、特別な能力を持った人)実験のデータをもらうと、
カナンらがいるのに、早々に「ファクトリー」の攻撃を依頼する
だから、実は劇中では一番利口かつ冷酷な人物で、アルファルドがかわいく見える。
エリート官僚おそろしや、といったとこでしょうか。
だけど、いかんせん、この利権と外交の構造が劇中ではわかりにくい。
神山監督の脚本とかシリーズ構成はスゲエうまかったんだなあと、改めて思います。
ウイルス利権をめぐる話題も、分かりやすいように説明するにはやはり少し尺が足りない。
カナンとマリアの過去も含めて、2クールあれば…とは感じずにはいられないませんね。
でも、カナンに主題を置くのか、社会的な話題に主題を置くのかで、
物語のテイストは大分変わってくるので難しいですね。
そういう意味でも、SACはすんげえ上手いんだなあと。
キャラを立たせて、少し入り組んだ話も分かりやすく説明ってのは意外とすご技。
そういや、神山監督って今何してるんでしょうかね。
作画の方ですけど、良かったのは#1.2.5.7.11.13かなあ。
特に最初の二話は、前にも言ったようにスゴく良かった。
モブはこれでもかというぐらい手書きで動かすし、エフェクトもいい。
アクションカットや映像の情報量も多くて楽しい。
最初に異国の世界観をきちんと描写するので、スムーズに入っていける。

今作の特徴の一つとして、CG処理された背景があります。
このコントロールルームのシーンは、パースは画面が引くにつれ、
ちょっと俯瞰になっていきます。
つまり、パースが変わってくるわけですね。
だから、普通の背景では対応できないので背景をCG処理します。
具体的には、パースが変わる所のテクスチャを何やかんやするらしいですが、
素人にはそこまで分からん。
まあとにかく、CG背景はめちゃ多いです。

また爆発、煙といったエフェクトに関してもCGが多用されています。
アルペジオみたいなオールCGではありませんが、エフェクトの9割はCGです。
ですが、少しまだ手書きには及ばないかなあという印象。
ぬるぬるしすぎてアニメで培われてきたタイミングとかが、どうしても出せない。
メカの方はそこそこ上手くいってる気がしますけど、
エフェクトのCGはまだまだ違和感ありますね。

作画としては、このランランのビールを開けるシーン。
これが上手いなあと思ったので。
地味ですけど、細かい仕草が再現されててスゴい。
栓を抜いた後、手に栓が残っているのが分かるんですよね。
うおっ、細けえとこまでスゲーと。
後は、細かいディテールと各戦闘シーンですね。
ここはもう言うことなしで、素晴らしいです。


(#7 戦闘機内部のディテール)


(#7 戦闘機本体のデザインワークとエンジンのデジタル表現、爆弾のディテール)


(#5 着弾時の煙、CGではない煙のうちの一つ)


(#6.10タイトルカット きのこらしい当て字遊び。実は毎回エンドで出される)


(#13 戦闘シーン)
後は、佐藤雅弘パートですね。(後でgif追加します)
アルファルドが輸送車から逃げるシーン。
これは良かった。アクションの申し子です。
SACとかフルメタが好きな人は楽しめるんじゃないのかなあ。
後は、フェイト・ゼロとかですかね。
見てなくて言うのもアレなんですが、多分これに近い。
きのこ調のセリフが嫌だと感じなければ、楽しめると思う。
まあそんな感じです。
劇場アニメ「メトロポリス」における魅力と演出
今回は自分が大好きなアニメ映画の感想やらを一つ。
0、はじめに
元々「メトロポリス」とは、手塚治虫による漫画作品であり、氏の初期3大SF作品の一つでもあります。
人工生命を研究していたロートン博士は、太陽の黒点から放出される放射線により、人造タンパク質に生命の片鱗が見えたことに大喜びしますが、レッド党のボス「レッド公」に目をつけられ、人造人間「ミッチィ」の制作を命じられます。
ある時、レッド公の悪巧みに気付いたロートン博士は家に火を放ち、一旦はミッチィと共に逃げることに成功します。
しかし、数カ月後、ひょんなことからレッド公に見つかり、ロートン博士は殺害されてしまいます。
それから、ミッチィはレッド公の元で育てられますが、ロートン博士の遺言を聞いた「ヒゲオヤジ」によって救出され甥である「ケンイチ」と同じ学校に通わせます。ケンイチとミッチィは親友も同然の関係となっていきます。
しかし両親の事が気になり、求める一心で外国船に乗り込みますが、運悪くその船はレッド公所有のモノであり、レッド公に捕まってしまうと同時に、自分がロボットであることを冷酷に突きつけられます。
その事により、ミッチィは怒りのあまり暴走を始め、他のロボット達と共に「メトロポリス」へと進行。
親友であったケンイチの制止も聞かず、時計塔の頂上で決闘を始めます。
最後には、命の源であった黒点の消失に伴い、火に包まれて落ちていきます。
病院を訪れたケンイチが見たものは、変わり果てたミッチィの姿でありました。
そして、メタ的な視点から読者へと問いかけが出されます。いずれ発達した科学が我々の身を滅ぼしていくのではないかと・・・。
元々はこんなお話です。アニメにおいて「ロック」が出てきたり、色んなところが変わっております。だから、手塚治虫「原作」というよりは、「原案」程度で見たほうがいいような気もします。
1、アニメにおける概要
制作はマッドハウス、監督・絵コンテは「りんたろう」、脚本は「大友克洋」が務めました。
また総作画監督、キャラクターデザインには「名倉靖博」が起用され、フルアニメーションかと見まごうぐらいのスゴい作画となっております。
原画陣も大勢が参加し、「沖浦啓之」「安藤真祐」「村木靖」など敏腕メーターも参加しています。

原作との主な変更点は、先程も言ったように多すぎて挙げられません。
基本的な軸、人間だと思っていた少女がロボットであると告げられて困惑する点などは変わっていません。
2、演出的な感想
いきなりぶっ飛んで最後の方の感想を。
まず「ティマ」は結局最後(ロックに撃たれるまで)自分は、「ケンイチ」と同じ人間だと願っています。
しかし、ロックに撃たれて機械部分が露出したことにより、ティマは困惑し動揺します。


そして、ティマの心臓部分で謎の装置(おそらく感情などの人間らしさを切る装置)が作動し、「超人の椅子」に向かいます。
そして、ロボット映画ではありがちですが、「人間が不必要」という結果がスーパーコンピュータとなったティマから出され、ポンコッツ博士やレッド公は止めるためコントロール・ルームに戻ります。
ここでティマを救いたい一心で、ケンイチは超人の椅子へ向かい、ティマを椅子から引剥がそうとします。ここの部分で、今の今まで人間であったティマにロートン博士のようなメカニック的な目が付いたり、顔の一部が剥げたりします。
つまりは、ティマが完全にロボットになってしまったことを描写しています。上手い。
引剥がした後、ティマはケンイチを殺そうとジグラットから空中へ放り投げたりします。それでも、信じて呼びかけるケンイチ。3回目辺りでようやく、先程の謎の装置が停止しますが、ティマとケンイチは両方共空へと投げ出されます。


基盤がスキマに引っかかりそこから伸びるコードで何とかぶら下がってるティマをケンイチは助けようとしますが、ティマの人工頭脳も再起動中で上手く動きません。最終的には、「違うよ、君は自分のことは『ワタシ』っていうんだ」という凄く初期の部分までリセットされます。

その結果、「ケンイチ・・・!ワタシはダレ」と残し、手を掴むことはできず、落ちていきます。
ここの描写は先にケンイチ視点を見せておいた後で、ティマ視点も見せていて凄く上手い演出だと思います。




またこのカットはティマの無感情さ、無知さ、白紙感がとてもよく表されています。

ロボットのアイデンティティということで、同時期の「AI」とも比較対象されがちらしいですが、「AI」の方は怖いですね。とても怖い。そしてとても悲しい。
もちろん、このメトロポリスも幾分にも悲しいわけですが、何というか上手く言えません。
ラストはケンイチがメトロポリスに残り、雑貨屋のようなモノをしてます(エンドクレジット)。一案としては、これがラストシーンでもあったんですが、最終的にはラジオの方が選ばれたようです。
3、映像的な感想
最近、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」「RE:サイボーグ009」「進撃の巨人」やらで背景CG使うようになってきたなあと思っていたのですが、もしかしたら大規模的なCG背景と普通の作画のコンポジットはこれが初かもしれないですね。
ジグラット始め、車などには積極的にCG採用しています。その代わり、セル(動く奴)の方がスゴい。人の作画に至っては、シーンによってはZセルまで重ねるとかいうマジキチっぷり。そりゃ製作費10億もかかります。
またティマが屋根の上で、天使みたい・・・と言われてる部分は、1k作画+DFで凄く綺麗で、神秘的ですね。まさに天使らしさを全面に出したシークエンスです。

他の作画にも色々言及したいですが、何処をとっても大抵一級品ですので選別が大変です。
村木靖によるラストの崩壊シーンの煙や、バクハツはトコトン上手いです。
こんな立体的な煙描ける人は今いるんですかねえ・・・



沖浦啓之による、自転車での滑走シークエンスは破片がまさに沖浦さんの仕事という感じで上手い。



ちょっと足早ですが、ざっとこんな感じのアニメです。
見たことない人は、是非ご覧ください。とてもいい作品です。
0、はじめに
元々「メトロポリス」とは、手塚治虫による漫画作品であり、氏の初期3大SF作品の一つでもあります。
人工生命を研究していたロートン博士は、太陽の黒点から放出される放射線により、人造タンパク質に生命の片鱗が見えたことに大喜びしますが、レッド党のボス「レッド公」に目をつけられ、人造人間「ミッチィ」の制作を命じられます。
ある時、レッド公の悪巧みに気付いたロートン博士は家に火を放ち、一旦はミッチィと共に逃げることに成功します。
しかし、数カ月後、ひょんなことからレッド公に見つかり、ロートン博士は殺害されてしまいます。
それから、ミッチィはレッド公の元で育てられますが、ロートン博士の遺言を聞いた「ヒゲオヤジ」によって救出され甥である「ケンイチ」と同じ学校に通わせます。ケンイチとミッチィは親友も同然の関係となっていきます。
しかし両親の事が気になり、求める一心で外国船に乗り込みますが、運悪くその船はレッド公所有のモノであり、レッド公に捕まってしまうと同時に、自分がロボットであることを冷酷に突きつけられます。
その事により、ミッチィは怒りのあまり暴走を始め、他のロボット達と共に「メトロポリス」へと進行。
親友であったケンイチの制止も聞かず、時計塔の頂上で決闘を始めます。
最後には、命の源であった黒点の消失に伴い、火に包まれて落ちていきます。
病院を訪れたケンイチが見たものは、変わり果てたミッチィの姿でありました。
そして、メタ的な視点から読者へと問いかけが出されます。いずれ発達した科学が我々の身を滅ぼしていくのではないかと・・・。
元々はこんなお話です。アニメにおいて「ロック」が出てきたり、色んなところが変わっております。だから、手塚治虫「原作」というよりは、「原案」程度で見たほうがいいような気もします。
1、アニメにおける概要
制作はマッドハウス、監督・絵コンテは「りんたろう」、脚本は「大友克洋」が務めました。
また総作画監督、キャラクターデザインには「名倉靖博」が起用され、フルアニメーションかと見まごうぐらいのスゴい作画となっております。
原画陣も大勢が参加し、「沖浦啓之」「安藤真祐」「村木靖」など敏腕メーターも参加しています。

原作との主な変更点は、先程も言ったように多すぎて挙げられません。
基本的な軸、人間だと思っていた少女がロボットであると告げられて困惑する点などは変わっていません。
2、演出的な感想
いきなりぶっ飛んで最後の方の感想を。
まず「ティマ」は結局最後(ロックに撃たれるまで)自分は、「ケンイチ」と同じ人間だと願っています。
しかし、ロックに撃たれて機械部分が露出したことにより、ティマは困惑し動揺します。


そして、ティマの心臓部分で謎の装置(おそらく感情などの人間らしさを切る装置)が作動し、「超人の椅子」に向かいます。
そして、ロボット映画ではありがちですが、「人間が不必要」という結果がスーパーコンピュータとなったティマから出され、ポンコッツ博士やレッド公は止めるためコントロール・ルームに戻ります。
ここでティマを救いたい一心で、ケンイチは超人の椅子へ向かい、ティマを椅子から引剥がそうとします。ここの部分で、今の今まで人間であったティマにロートン博士のようなメカニック的な目が付いたり、顔の一部が剥げたりします。
つまりは、ティマが完全にロボットになってしまったことを描写しています。上手い。
引剥がした後、ティマはケンイチを殺そうとジグラットから空中へ放り投げたりします。それでも、信じて呼びかけるケンイチ。3回目辺りでようやく、先程の謎の装置が停止しますが、ティマとケンイチは両方共空へと投げ出されます。


基盤がスキマに引っかかりそこから伸びるコードで何とかぶら下がってるティマをケンイチは助けようとしますが、ティマの人工頭脳も再起動中で上手く動きません。最終的には、「違うよ、君は自分のことは『ワタシ』っていうんだ」という凄く初期の部分までリセットされます。

その結果、「ケンイチ・・・!ワタシはダレ」と残し、手を掴むことはできず、落ちていきます。
ここの描写は先にケンイチ視点を見せておいた後で、ティマ視点も見せていて凄く上手い演出だと思います。




またこのカットはティマの無感情さ、無知さ、白紙感がとてもよく表されています。

ロボットのアイデンティティということで、同時期の「AI」とも比較対象されがちらしいですが、「AI」の方は怖いですね。とても怖い。そしてとても悲しい。
もちろん、このメトロポリスも幾分にも悲しいわけですが、何というか上手く言えません。
ラストはケンイチがメトロポリスに残り、雑貨屋のようなモノをしてます(エンドクレジット)。一案としては、これがラストシーンでもあったんですが、最終的にはラジオの方が選ばれたようです。
3、映像的な感想
最近、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」「RE:サイボーグ009」「進撃の巨人」やらで背景CG使うようになってきたなあと思っていたのですが、もしかしたら大規模的なCG背景と普通の作画のコンポジットはこれが初かもしれないですね。
ジグラット始め、車などには積極的にCG採用しています。その代わり、セル(動く奴)の方がスゴい。人の作画に至っては、シーンによってはZセルまで重ねるとかいうマジキチっぷり。そりゃ製作費10億もかかります。
またティマが屋根の上で、天使みたい・・・と言われてる部分は、1k作画+DFで凄く綺麗で、神秘的ですね。まさに天使らしさを全面に出したシークエンスです。

他の作画にも色々言及したいですが、何処をとっても大抵一級品ですので選別が大変です。
村木靖によるラストの崩壊シーンの煙や、バクハツはトコトン上手いです。
こんな立体的な煙描ける人は今いるんですかねえ・・・



沖浦啓之による、自転車での滑走シークエンスは破片がまさに沖浦さんの仕事という感じで上手い。



ちょっと足早ですが、ざっとこんな感じのアニメです。
見たことない人は、是非ご覧ください。とてもいい作品です。
©GOMISTATION 2012-2023 All rights reversed