
2022、新年初コメ勝利者です( ^ω^)
福男みたいなもんですね、ここで言うならゴミ男
棒術はやっぱ興味ひかれると思うんですよね~みんな
探し方は、慣れもありますけど、常にメモっとくんですよ~。ネタになりそうなものや、面白い表現を見つけた瞬間に、たとえば、マンガ読んでたらスクショしたり紙にメモったりする。これで蓄積されていくので、「探す」というよりは「引き出しから出す」とった方が正確か。まあそれでも、2、3週間にわたって調べていることもよくあることで。けっきょく、地道でメンドウクサイものです。
守護天使はコメントをいただいたので、調べました。割と気になったので、自分も。作画もコンテも演出もいいですよ。タイミングも面白いので、男の子のカットとか、そこら辺のタイミングが良い。
で!オールタイム・ベストOP3はどうしてなかなか難しい(^ω^メメ)
しかし、面白い題材でした!
これはすげえなあと。選出がきわめて困難でした。OPって短いんですが、それじたいでなにか特集やネタになるようなものは自分では見つからなかったので。OP、ほかはMV・CM、この辺がアニメーションの商業的な意味合いで重要になっているので、ちょっと追ってみたい気もします。
書いてる本人もずぶずぶの素人じゃぞ?( ^ω^)素人バンザイ!素人どうしでの意見交換がいちばん重要です。意見交換がなかったら、ぼくは増尾さんのことをここまで知ることはできなかった。ぼくは筆者ですが、あくまでも記事を出しているだけ。ぼくに権威とか感じてはダメです。自分の意見をいちばん大事にしてあげてください(※ちなみにぼくはプロの意見もほとんど気にしません。書き手側から見える世界と、受け手側から見える世界は違うので)。
そんなことより、
さて!OPオアニメ・オールタイム・ベスト3は次のとおり
※選定基準は
*歌・曲の力でゴリ押していないもの
*作画・絵の力でゴリ推していないもの
*本編との関係性も含めて優れているもの
です。歌だけ「は」優れたOPとかありますので…
<OPアニメ・オールタイム・ベスト3>
◎、月刊少女野崎くん [2014]OP「君じゃなきゃダメみたい」
◯、シュタインズ・ゲート [2011]OP「Hacking to the Gate」
▲、ガッチャマンクラウズ [2013]OP「Crowds」、
☆進撃の巨人 [2013]ED02「great escape」、だがしかし[2016]OP「Checkmate!?」
絞れねえや!まあ◎◯▲がベスト3ですね。
堂々の1着入線はやはり野崎くん、後続を振り切って5馬身差の圧勝。
これはパッと浮かんだなあ
◎月刊少女野崎くん[2014] 「君じゃなきゃダメみたい」
コンテ:りょーちも / 原画:渡邊祐記、三谷暢人ほか
曲:君じゃなきゃダメみたい / 作詞・作曲:オーイシマサヨシ
やはり特殊なマンガのコマ割りカット
「カレカノ」オマージュな小さい格子の使用
コメディ調に進んでいくOPアニメ。その中でサビ後半に至るときに、「恋しよっ!」→「野崎くんが千代ちゃんを抱き上げる」の流れが気持ちいい。ここがいちばん強烈です。コメディ調・デフォルメに進んで行く中で、唐突にくるのでインパクトが大きい。
ラストも野崎くんを奥側に配置しておいて、千代ちゃんを右からINさせて追いかけさせる。これがいいなあ、ボーイミーツガールなストーリー、片思いな
◯シュタインズ・ゲート [2011]OP「Hacking to the Gate」
コンテ:浜崎博嗣 / 原画/坂井久太、大島縁ほか
曲:Hacking to the Gate / Vo:いとうかなこ / 作詞・作曲:志倉千代丸
ほぼ言うことなしの2着。
自分の人生上でもトップのアニメーション作品。ゲームも好き。OPはやっぱり序盤かな~序盤のモノクロタイトルから、図形が展開する。ぐにゃあっとこう時空に吸い込まれる感じがいいですよね。その後も、いくつもの平行世界を示唆するであろう、キャラクターの細かい残像、オーバーラップの表現が良い。
後半のセミとトンボが好き、いいですよね。寿命が短いかれらは、シュタゲそのもの内容と、舞台である夏を想起させる。
▲ガッチャマンクラウズ [2013]OP「Crowds」
OP監督・演出:吉邉尚希 / 原画:橋本敬史、ヨツベ、嶋田和晃
曲:Crowds / 作詞・作曲:WHITE ASH
ここは4、5着と僅差だったか、そんな3着
ドラムとの小気味良いカットの切り方がやはり見事ですねえ、ガッチャマンクラウズOPは。あとはここまで自然体に実写映像を使われると閉口する他なく、CGメカ・エフェクトともに良く、キャラも立ってる(※開始7秒でキャラは紹介しきってるw)。1期は累くんとベルク・カッツェの物語なので、ここが強調されているのもいいよなあと。
ガッチャマンメンバーはそれぞれ、仲良いレイアウトがほとんどな一方で、累くんはずっと孤独・孤立。ベルク・カッツェからは束縛されている。この対比、めっちゃいいですよね。やっぱり良いOPには理由があんだわなあ。ちなみに、ぼくはO・Dがいちばん好きです。
僅差4、5着(掲示板)も紹介
☆進撃の巨人 [2013]ED02
コンテ・演出:立川譲 / 原画:三輪和宏ほか
曲:great escape / 作詞・作曲:cinema staff
進撃の巨人のOP・EDはほとんどすべてよくできていますが、立川譲コンテのED02は圧巻。EDですが、やはりこれは圧巻です。まだいろいろなネタバレがされていない(できない)中で最小限の示唆をして、最大限の効果を発揮している。クルミが転がっている理由はよく分からないけれど。
だって、これたしかライナーとか壁外人類がいるってネタバレされてない序盤のときのEDですよ?すごくない?
☆だがしかし[2016]OP「Checkmate!?」
コンテ:平川哲生
曲:MICHI(作詞・作曲も兼)
これねえ、そうとうに迷った。カメラの使い方がめっちゃいいのよ。実験的なカメラもある上に、それが成功している。カメラ演出だけなら、すべてのOPを抜き去る。まるでブロードアピールのような、ごぼう抜きを見せる(意味不)

アコギとベースで始まってバイオリンに行くのかっこよすぎん?その後、すっとドラム入っていくし、おかしいよこの曲作った人。パステルカラー+蛍光カラーで変化するタイトル、色の使い方もうんめえなあ。
39秒からのカメラ・ワーク
Q・Zoom→Follow・PAN3連続
ここのカメラワークがええんねんやな…これマジで好き
聲の形から見る、山田尚子のカット割り
山田尚子といえば、小刻みで丁寧な省略コンテを切る、というのが一つのイメージになってきた。
「聲の形(2019)」でのワンシーン






ここはとある映像を石田くんに見せるのが最も大事なところで、それ以外はぶっちゃけどうでもいい。だけれど、ほかの部分を無下に扱うわけではない。きちんと玄関から入り、おばさんい挨拶する。そういった段階を踏んでいるのが丁寧でいい。
1:石田の家に到着
↓
おばさんに挨拶する
↓
(石田の部屋に上がっていく)
↓
2:屋根裏部屋の直前のはしご
↓
3:カーテンシャッで石田の部屋に到着
↓
(タブレットを取り出す動作)
↓
4:ユヅル「極秘映像を入手した」;ここでもうタブレットを取り出している
↓
5:石田(なんだなんだ)
↓
6:机に置いて一緒に見る
こういう流れ。わずか6カットでここまで丁寧にできるのがスゴイ。大きな省略はないけれど、小刻みな省略、つまり、まあ必要なかろうという部分を的確に省略している。ユヅルが階段を上がったり、タブレットを取り出したり、という部分。
目的地は「とある映像を一緒に見る」にあるので、そこに向かって無駄なく、小刻みにカットを切ることでテンポを加速させる。けれど、突然ユヅルが石田の部屋にジャンプするみたいな、そういった大きな省略じゃないのが山田尚子演出の魅力の一つなのかな。丁寧だよね。
凡例1







「私の声ヘン?」の後のシーン。石田が「やってしまった!」という焦りで、スタンドを上げて(2カット目)自転車に乗る(3カット目)。見送りながら、いやいや言わなきゃと焦って自転車のリアキャリアを掴む西宮(4カット目)、急制動でびっくりする石田(5カット目)、西宮どしたん?の石田(6カット目)、止めたはいいがどうしようの西宮(7カット目)
凡例2







あまり説明いらないと思うがいちおう
こんがらがった感情でダッシュ帰宅(1カット目)、荷物ドサー(2カット目)、ベッドダイブ(3カット目)、なんかあったのか?と聞くユヅル(4カット目)、メールで返答する西宮(5カット目)、メールを見るユヅル(6カット目)、まじかよびっくりのユヅル(7カット目)
付け加えるならば、西宮を映す画面はベッドで落ち着くまで、ずっと動きっぱなし。ふだんの西宮とは違う、躍動的な動きがある(3カット目は俯角アングル)。一方、ユヅルは傍観しているので、客観的な水平アングルによって止まったままで描写されている。動と静の対比がいいよね。
小刻みなカット割りでテンポを加速させると、ギャップで止めのカットに没入してしまう。最初のワンシーンでいうと、映像を見るシーンに長い止めのカットがあるんだけれど、それに見入ってしまう。小刻みな省略はこういう点でも効果的に見える。ここが一つ、山田尚子演出の魅力の大きな一つであろうなと思う。
「聲の形(2019)」でのワンシーン






ここはとある映像を石田くんに見せるのが最も大事なところで、それ以外はぶっちゃけどうでもいい。だけれど、ほかの部分を無下に扱うわけではない。きちんと玄関から入り、おばさんい挨拶する。そういった段階を踏んでいるのが丁寧でいい。
1:石田の家に到着
↓
おばさんに挨拶する
↓
(石田の部屋に上がっていく)
↓
2:屋根裏部屋の直前のはしご
↓
3:カーテンシャッで石田の部屋に到着
↓
(タブレットを取り出す動作)
↓
4:ユヅル「極秘映像を入手した」;ここでもうタブレットを取り出している
↓
5:石田(なんだなんだ)
↓
6:机に置いて一緒に見る
こういう流れ。わずか6カットでここまで丁寧にできるのがスゴイ。大きな省略はないけれど、小刻みな省略、つまり、まあ必要なかろうという部分を的確に省略している。ユヅルが階段を上がったり、タブレットを取り出したり、という部分。
目的地は「とある映像を一緒に見る」にあるので、そこに向かって無駄なく、小刻みにカットを切ることでテンポを加速させる。けれど、突然ユヅルが石田の部屋にジャンプするみたいな、そういった大きな省略じゃないのが山田尚子演出の魅力の一つなのかな。丁寧だよね。
凡例1







「私の声ヘン?」の後のシーン。石田が「やってしまった!」という焦りで、スタンドを上げて(2カット目)自転車に乗る(3カット目)。見送りながら、いやいや言わなきゃと焦って自転車のリアキャリアを掴む西宮(4カット目)、急制動でびっくりする石田(5カット目)、西宮どしたん?の石田(6カット目)、止めたはいいがどうしようの西宮(7カット目)
凡例2







あまり説明いらないと思うがいちおう
こんがらがった感情でダッシュ帰宅(1カット目)、荷物ドサー(2カット目)、ベッドダイブ(3カット目)、なんかあったのか?と聞くユヅル(4カット目)、メールで返答する西宮(5カット目)、メールを見るユヅル(6カット目)、まじかよびっくりのユヅル(7カット目)
付け加えるならば、西宮を映す画面はベッドで落ち着くまで、ずっと動きっぱなし。ふだんの西宮とは違う、躍動的な動きがある(3カット目は俯角アングル)。一方、ユヅルは傍観しているので、客観的な水平アングルによって止まったままで描写されている。動と静の対比がいいよね。
小刻みなカット割りでテンポを加速させると、ギャップで止めのカットに没入してしまう。最初のワンシーンでいうと、映像を見るシーンに長い止めのカットがあるんだけれど、それに見入ってしまう。小刻みな省略はこういう点でも効果的に見える。ここが一つ、山田尚子演出の魅力の大きな一つであろうなと思う。
天気の子:雑感
「君の名は。」で大ヒットを叩き出した新海誠の最新作。余談ですが、新宿南口が(天気の子口)になっていてギョッとしました。半端ないですね。

新海誠は「なにかの差」をテーマやモチーフとして、映画を作る監督と自分は思っています。
君の名は。→地方と都会
言の葉の庭→少年と女性教師(年齢差)
秒速→時間
今回は「貧富/犠牲」です
序盤は、家出少年・ホダカはネカフェ難民やホームレスのような生活を送っていました。そこを助けてくれたのは、ブンヤのおっさんでしたね。おっさんは衣食住を与えてホダカを保護し、ホダカはそれに応えて働いていた(ここで労基法うんぬんはナンセンスかなと思います)。就活お姉さんもいたので、3人できれいに回っていた。バランスが良かった。とりあえず、ホダカは最悪の貧困から抜け出せた。ここがとても重要です。
「晴れ女」の段になると、今度はホダカとヒナ、ヒナの弟の3人でたくましく儲けます。利益をわざわざ、現金で描写したのはそういうことだと思う。なぜかというと、序盤からスマホやタブレットが頻出しており、描写もきわめてこだわっていた(SEなど)。「晴れにします!」サイトでも、ネット上での取引が主だったはず。だから、あれは意図的な描写です。この辺で、自立してきた感じがあった。
それで自分で現金を得たはいいけれど、保護者なし3人で暮らすにはまったくとして足りなかった。児相が来て、警察も来てしまった。自立して3人でやってきたのに、貧困からは抜け出せていなかった。そういう風にホダカくんは思った。それがほっといてくれよ!という言葉につながる。
警察から逃げた後、ラブホテルにおいて、退職金をもとに備え付けのインスタントなどを買う。これがかれらにとっては、最高のぜいたくであり、わずかな時間でしたが、富豪になった。ラブホテルという舞台に逃げ込んだのも、ホームレスとは真反対のきらびやかな世界を映したかったから。
最後の決着あたり、おっさんと就活お姉さんの心境はよくわかりませんが、まあ勢い重視だったんでしょう。まあ、おっさんはよく分からない。セリフではいっさい出てきませんが、あえて言葉にしたくなかった可能性もあります。
最初に「なにかの差」を設けて、描くと述べました。その正体は、少年少女の恋愛を妨げるものです。今回は貧富・犠牲というテーマで、貧富がホダカとヒナの恋愛を妨げ、それを乗り越えていく、という物語だった。ヒナが生贄になることを拒んだ。そこの流れは分かるけれど、おっさんと就活お姉さんの立ち位置があまり良くなかった。こいつらはホダカを警察や行政から守るかどうか、みたいなとこなんだろうか。
映像的には新海誠の撮影が光っていましたね。作画や映像にかんしては、圧倒的に前作の方が素晴らしかった。そういう意味では、やや退屈なフィルムに映りました。次回作に期待したいです。
・かぐや様は告らせたい:チカダンス(2019)#03ED








#27 ★
ローポジションから俯角への回り込みショット。サシャの鬼気迫った表情もそうですが、回り込みながらスカートが大きくなびくことで、画面全体に緊迫感をもたらし最大の山場を醸し出す。
それは西井涼輔による「恋愛ラボ」のプリーツ作画です

#12 ★★
新海誠最新作。キャラデの田中将賀は、Z会CM「クロスロード」からのご縁でしょう。作監は、ジブリ作品などで有名な安藤雅司。
・彗星来訪

彗星には青のイメージがありますが、ここでは先端になるつれ赤色に。大気圏に突入しているということなのかな。下から3本目の彗星に注目。これだけ失速して早めに落下している。これで画面が平坦なものになるのを防止している、と同時にリアリティもある。
・工場爆破

橋本作画(※推測)。タタキにこだわりを感じる。従来のタタキというのは、粉塵エフェクトを表すものであり画面全体に効果をかけるものでした。「君の名は。」のこのカットでは、エフェクトだけにかかっているように見える。おそらく、星空を邪魔しないための措置。
煙はまんま橋本さん(でこぼこなフォルムに楕円ディテール)だと思うけど、爆発はすごい変わってる感じがする。橋本爆発のフォルムって、煙と同じででこぼこななんだけど、タコ足煙がある、みたいなイメージだった。後、ここまでディテール少ない橋本爆発は初めて見た気もする。
![22]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/f/c/fcea8e72-s.jpg)
「渇き。」の大平作画っぽい感じ。かすれた描写が思い出させたのかな。かすれている部分はどういう技術でやっているんだろう?普通に線画なんだろうか。気になる。
![48]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/e/a/eaa0954e-s.jpg)
![40]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/2/6/26d073c2-s.jpg)
![43]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/a/7/a7ec35e1-s.jpg)
手前に物を置きピンボケさせて、より奥側のキャラ/状況を強調。特に2枚目はレイアウトが素晴らしい。画面左下の葉っぱが画面を引き締めている。
![18]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/4/d423c0f6-s.jpg)
伸びる影の先端をボカしているのが地味ウマ。たぶんハッキリと輪郭を描写すると、夜の部屋の雰囲気って出ないんだろうなあ。
----------------------------------------------------------------------
1000年に一度の彗星来訪を巡る物語。七夕かな。キービジュアルとタイトルを見た時は、また「秒速」の頃のような無個性なキャラ2人で描くと感じて、がっくりしていた。というのも、前作「言の葉の庭」は年齢差のある恋模様を具体的なキャラクターで描いていて、今までの新海作品とは一線を画していたから。以前の方向性に戻ってしまうかもしれないのは、残念だなあと思っていた。
ただ、特報や予告が出るにしたがって、その不安は解消されていきました。主人公2人に個性がある。これだけで安心しました。安藤雅司さんの絵も良いですね、鼻が立体的に描かれてて好み。
さて、新海作品には「差/ズレ」が一貫してテーマにあります。「秒速」では”時間”が、「言の葉の庭」では”年齢”がそれぞれありました。今作は「クロスロード」で展開した、”地方と都会”というズレを使って彗星来訪の物語を描くようです。
私見ですが、「言の葉の庭」はそこそこ一般人にも受けたはず。だから、これまでで最も多くの人が期待している人と思う。公開は8/26。楽しみです。

新海誠は「なにかの差」をテーマやモチーフとして、映画を作る監督と自分は思っています。
君の名は。→地方と都会
言の葉の庭→少年と女性教師(年齢差)
秒速→時間
今回は「貧富/犠牲」です
序盤は、家出少年・ホダカはネカフェ難民やホームレスのような生活を送っていました。そこを助けてくれたのは、ブンヤのおっさんでしたね。おっさんは衣食住を与えてホダカを保護し、ホダカはそれに応えて働いていた(ここで労基法うんぬんはナンセンスかなと思います)。就活お姉さんもいたので、3人できれいに回っていた。バランスが良かった。とりあえず、ホダカは最悪の貧困から抜け出せた。ここがとても重要です。
「晴れ女」の段になると、今度はホダカとヒナ、ヒナの弟の3人でたくましく儲けます。利益をわざわざ、現金で描写したのはそういうことだと思う。なぜかというと、序盤からスマホやタブレットが頻出しており、描写もきわめてこだわっていた(SEなど)。「晴れにします!」サイトでも、ネット上での取引が主だったはず。だから、あれは意図的な描写です。この辺で、自立してきた感じがあった。
それで自分で現金を得たはいいけれど、保護者なし3人で暮らすにはまったくとして足りなかった。児相が来て、警察も来てしまった。自立して3人でやってきたのに、貧困からは抜け出せていなかった。そういう風にホダカくんは思った。それがほっといてくれよ!という言葉につながる。
警察から逃げた後、ラブホテルにおいて、退職金をもとに備え付けのインスタントなどを買う。これがかれらにとっては、最高のぜいたくであり、わずかな時間でしたが、富豪になった。ラブホテルという舞台に逃げ込んだのも、ホームレスとは真反対のきらびやかな世界を映したかったから。
最後の決着あたり、おっさんと就活お姉さんの心境はよくわかりませんが、まあ勢い重視だったんでしょう。まあ、おっさんはよく分からない。セリフではいっさい出てきませんが、あえて言葉にしたくなかった可能性もあります。
最初に「なにかの差」を設けて、描くと述べました。その正体は、少年少女の恋愛を妨げるものです。今回は貧富・犠牲というテーマで、貧富がホダカとヒナの恋愛を妨げ、それを乗り越えていく、という物語だった。ヒナが生贄になることを拒んだ。そこの流れは分かるけれど、おっさんと就活お姉さんの立ち位置があまり良くなかった。こいつらはホダカを警察や行政から守るかどうか、みたいなとこなんだろうか。
映像的には新海誠の撮影が光っていましたね。作画や映像にかんしては、圧倒的に前作の方が素晴らしかった。そういう意味では、やや退屈なフィルムに映りました。次回作に期待したいです。
スカート作画の妙技、西井プリーツ
かぐや様のチカダンス、すごく話題になってますね。藤原書紀の頭のおかしさを示すような、トリッキーなリリックとメロディに乗せて、チカが踊る。中山直哉さんという方がロトスコープを用いて描かれたそうで。特に良かったのは、「スカートの動き方」ですね。
・かぐや様は告らせたい:チカダンス(2019)#03ED
ロトスコといえど、このストンと落下する感じ。実写映像から画をうまく拾ったんだろうなあ、ギャザースカートの重力を感じる。
さて、スカート作画にはいろいろあるのだぜ。チカダンス並に、それ以上にスゴイのもあるのだぜ。
・CLANNAD 〜AFTER STORY〜(2008)#ED

これはフレアスカートですね。スカートが波状にうねるとだいたいフレアスカート。とんとんとジャンピング気味なので、スカートがダイナミックに動く。そのダイナミックさに合わせて、影の入れ方も激しくなっている。
・電脳コイル(2007)#OP

OPの1カット、本田雄による作画
走ってきてゆっくりと止まるシーケンス。ゆっくりになるに従って、スカートの跳ねがだんだんと小さくなるところがポイント。スカートの跳ねが大きいことで、けっこうな速度で走ってきたのを伝える。
#02

サッチーから逃げるところ。フレアスカートっぽい。必死に逃げる脚に合わせて、動くスカート。特にヤサコ(メガネ)のスカートの動きに注目。
同スロー
動きを見ると、二人のスカートの素材・布地が異なっているのが明確にわかりますよね。ヤサコのはやわらかく、フミエのはやや硬め。なんかラーメンみてえだな。

同じく02話から。本田雄による作画。重心の移動がスカートの動きによって示されている。
同スロー

いったん右に寄ったため重心が傾き、スカートが右方向に跳ねる。ここが上手い。
・四月は君の嘘(2014)#20

西井涼輔による作画
ややデフォルメ調に描かれている。スカート見事だなあ、揺れ+伸びが上手い

左右にスカートが揺れて、ジャンピングに合わせてスカートも一緒に伸びて、着地したら横に膨らむ。
・進撃の巨人2ndseason(2017)#27

村に帰る途中のサシャ。スカート長いのでロングフレアかな。それより大事なのは、巨人の間をすり抜け落下した後の動き。膝の形にスカートが変形し、立ち上がるときにスリムに変化。技巧光る。
#27 ★
ローポジションから俯角への回り込みショット。サシャの鬼気迫った表情もそうですが、回り込みながらスカートが大きくなびくことで、画面全体に緊迫感をもたらし最大の山場を醸し出す。
ざっと見たけど、スカート作画のだいたいはこんな感じ。他にもたくさんあるでしょうけれど。ここで紹介したのは工夫されているのが分かる。けれど、これらを差し置いて、常軌を逸した「どうやって描いたんだ?悪魔とプリーツ契約でもしたか?」と思うくらいのスカート作画がある。
それは西井涼輔による「恋愛ラボ」のプリーツ作画です
・恋愛ラボ(2013)#1 ★★★

プリーツスカートを書かせたら右に出る者はおるまい
スカートは最初だらっとしている。左足からダンボールに乗り、引っ張られる力の描写はさも当然のように着地した衝撃のリアクションまでスカートに反映させて揺らしている。精緻・繊細という言葉が似合うスカート
#12 ★★
サヨは普通に走っているのでスカートはまとわり付くように動くくらいですが。キャピキャピしているリコのプリーツは左右に大きく跳ねる。体の動きは描ける人はいると思うけれど、リコの変な動きに合わせて装飾品であるプリーツを破綻なく描き切っている。最初のスライディングも含めて
チカダンスにハマっている人も、何気なしに覗いた人も覚えてもらう言葉は、板野サーカスならぬ「西井プリーツ」です。とんでもないよね西井涼輔のプリーツスカート作画。
<参考資料>
作画オタク2名との配信-ニコニコ動画
「君の名は。」 予告2の爆発とか
新海誠最新作。キャラデの田中将賀は、Z会CM「クロスロード」からのご縁でしょう。作監は、ジブリ作品などで有名な安藤雅司。
・彗星来訪

彗星には青のイメージがありますが、ここでは先端になるつれ赤色に。大気圏に突入しているということなのかな。下から3本目の彗星に注目。これだけ失速して早めに落下している。これで画面が平坦なものになるのを防止している、と同時にリアリティもある。
・工場爆破

橋本作画(※推測)。タタキにこだわりを感じる。従来のタタキというのは、粉塵エフェクトを表すものであり画面全体に効果をかけるものでした。「君の名は。」のこのカットでは、エフェクトだけにかかっているように見える。おそらく、星空を邪魔しないための措置。
煙はまんま橋本さん(でこぼこなフォルムに楕円ディテール)だと思うけど、爆発はすごい変わってる感じがする。橋本爆発のフォルムって、煙と同じででこぼこななんだけど、タコ足煙がある、みたいなイメージだった。後、ここまでディテール少ない橋本爆発は初めて見た気もする。
![22]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/f/c/fcea8e72-s.jpg)
「渇き。」の大平作画っぽい感じ。かすれた描写が思い出させたのかな。かすれている部分はどういう技術でやっているんだろう?普通に線画なんだろうか。気になる。
![48]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/e/a/eaa0954e-s.jpg)
![40]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/2/6/26d073c2-s.jpg)
![43]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/a/7/a7ec35e1-s.jpg)
手前に物を置きピンボケさせて、より奥側のキャラ/状況を強調。特に2枚目はレイアウトが素晴らしい。画面左下の葉っぱが画面を引き締めている。
![18]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/4/d423c0f6-s.jpg)
伸びる影の先端をボカしているのが地味ウマ。たぶんハッキリと輪郭を描写すると、夜の部屋の雰囲気って出ないんだろうなあ。
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1000年に一度の彗星来訪を巡る物語。七夕かな。キービジュアルとタイトルを見た時は、また「秒速」の頃のような無個性なキャラ2人で描くと感じて、がっくりしていた。というのも、前作「言の葉の庭」は年齢差のある恋模様を具体的なキャラクターで描いていて、今までの新海作品とは一線を画していたから。以前の方向性に戻ってしまうかもしれないのは、残念だなあと思っていた。
ただ、特報や予告が出るにしたがって、その不安は解消されていきました。主人公2人に個性がある。これだけで安心しました。安藤雅司さんの絵も良いですね、鼻が立体的に描かれてて好み。
さて、新海作品には「差/ズレ」が一貫してテーマにあります。「秒速」では”時間”が、「言の葉の庭」では”年齢”がそれぞれありました。今作は「クロスロード」で展開した、”地方と都会”というズレを使って彗星来訪の物語を描くようです。
私見ですが、「言の葉の庭」はそこそこ一般人にも受けたはず。だから、これまでで最も多くの人が期待している人と思う。公開は8/26。楽しみです。
「おおかみおとこの死」の描写に関しての解釈と、細田監督の意図
「おおかみこどもの雨と雪」にはいろいろと他にもありますが、
「おおかみおとこの死」
この点のみを、ちょっと追っていきたい。
![10]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/4/f/4f4dda67-s.jpg)
![06]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/4/8/48f67df9-s.jpg)
どうしても理解出来なかった点、それは、「おおかみおとこの死」のシーン。「おおかみこども」に関する議論、問題の本質というのはこの部分が大きな割合を占めると思います。おおかみおとこは、何故あのような理不尽な形でこの物語から退場せざるを得なかったのか。
<1、「おおかみおとこの死」の目的と、シーン自体の説得力の有無>
![37]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/1/9/19d90660-s.jpg)
![05]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/9/d9a59b0c-s.jpg)
「花をシングルマザーにさせるべく、おおかみおとこを退場させたい」という目的は当然あると思います。描きたいシーンを妨げる要素はそれとなく退場させるべきです。この部分は問題ない。問題は、その描写のやり方、。説得力・合理性ある描写ならば、納得はできなくても理解はできる。
だけども、このシーンではそういう描写が欠如していると考えています。「おおかみおとこの死」というものに、こちらから見て納得できる描写があれば、その目的が何であろうと説得力あるシーンとなり、結果受けて側は享受できる。しかし、この「おおかみおとこの死」の一連のシーンには、合理的な演出や描写はほとんどないと言っていい。
<2、「おおかみおとこの死」の意図と、「理不尽」について>
「おおかみおとこ」の死によって、彼を退場させる以外に表現として何を達成したかったのか。
それは、おそらく「強烈な悪」の示唆。
![50]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/7/3/73c138b0-s.jpg)
![05]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/3/f/3f29e067-s.jpg)
![20]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/6/a/6a809d52-s.jpg)
![38]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/2/e/2e24f9a1-s.jpg)
花はおおかみおとこの死後、都会での生活に辛さや息苦しさを感じます。おおかみおとこの事を何度も思い、辛さに負けそうなことを伝える。この辺りから、「都会」というものは、花を困らせる厄介者として描こうとする意図を感じます。このように、都会を悪として描くのであれば、「児相」「近隣住民の苦情」などのジャブを重ねるだけで足りず、不快感を伴うぐらい強い「合理性の無い理不尽」を描かればならないはず。
これが、「おおかみおとこの死」ではないのかと思うわけです。児相なんて目じゃないくらい、この世には「とんでもない悪」があることを示唆している。このシーンは、都会に対しての印象を最悪なものにするためのものであり、非合理的な理不尽を描くべき部分です。ですが、その「非合理的な理不尽」に対して、少し違和感がある。
<3ー1、「理不尽」に内在する道理>
![17]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/1/d1899bd8-s.jpg)
まず1点目は、「理不尽に内在する道理」を描写していない部分。
「理不尽」というのは、「道理に合わないこと」を意味します。つまり、理不尽を描くためには、その道理を一緒に描く必要がある、と思うんです。『Aは怒られず、自分は怒られた』。これが理不尽の単純な構造です。「Aが怒られない(から自分も怒られない)」という道理を一緒に描写して初めて、理不尽を主張できる。道理が無ければ、理不尽は描けない。「おおかみおとこの死」には、「溺死した」という結果はあるんだけど、「~をした(から事故に合わない)」という道理は描いていない。
たとえば、死のシークエンスと合わせて、青信号一つ渡るのでも描写していたとしたら、それだけで道理になりうる可能性(※「信号機をきちんと守って渡るので、事故に合わない」という道理)はあった。しかし、それが明示されていないのでは、「おおかみおとこの死」は理不尽というよりは、「意味不明」になります。『非合理なシーン』であるべきなんだけど、根本的に描写が不足している、と思ってしまう。多少の理不尽さも含んでいるけれど、「おおかみおとこの死」については意味不明の方が印象として強い。
2点目は、キャラクターの動き方。
![37]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/1/9/19d90660-s.jpg)
![02]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/c/dc668ee4-s.jpg)
![48]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/e/d/ed97b355-s.jpg)
![32]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/4/f/4fb42c46-s.jpg)
おおかみおとこは、普段から読書家で、勤勉でなおかつ聡明なキャラクターとして描かれています。その上、子供に対して面倒見が良さそうで、子供からも人気がある。つまり、秀才イケメン野郎です。
ここで、「おおかみおとこの死」の一連のシークエンスを振り返ってみましょう。あのシーンは、ナレーションでその日が淡々と述懐されるのみで、おおかみおとこがどのようにして死んだかは、溺死体で見つかったという結果でしか示されていない。ということは、受け手側の我々はその結果で判断せざるを得ないわけですが、このシークエンスだと少なくとも賢い印象とはならない。
このような聡明なキャラクターが、あのような「馬鹿みたいな死に方」をするのは少々納得がいかない。彼は賢いキャラクターなんだから、賢いまま理不尽に死んでいけばいい。それこそ、信号機を青で渡って、撥ねられるだけでその目的は達成されるわけで。こんな素人でも思いつくんだから、『非合理的な理不尽さを保ちつつ、聡明なままキャラクターを退場させること』を、あの細田守ができないわけがない。何か裏があるはず。
<3、細田監督の意図したところ ― (解答編)>
1、2と少し、おおかみおとこの退場について見てきました。「時かけ」「サマーウォーズ」でガチガチの合理的な演出をしてきた細田監督にしては不自然さがある。こんな安易な事をするとは、到底思えない。だったら本人に効いてみよう、ということでアニメスタイルのインタビューを見てみる。
だとするならば、気になるのは、細田守が描きたかった「おおかみこどもの雨と雪」の世界。どんな世界を描くために、ああいった演出をしたのか。
細田監督の意図としては、とにかく大きな流れの中での家族、生命を描きたかった。面白く分かりやすく描くことはできなくもないんだけど、それだとモチーフに対して誠実になれない。あの細田守をしても、人の一生を大きな流れの中で描くということは、演出の範疇を超えていると思わせた。
そういう点で見ると、賢いキャラクターがバカみたいに理不尽な死を遂げるのも、大きな流れの一つとしては、自然なのかなと腑に落ちた。なるほど、これはそういう演出で狙ってどうのこうのする話ではなかったんだなと。おおかみおとこが、普通に死ぬ方が分かりやすくていいんだけど、それではモチーフから逃げていることになるんですね。だから、あんな理不尽な死に方が、大きな流れで見た時には正しい。
いや正しいというか、「そうなってしまうこともあるよね」という感じだと思う。おおかみおとこは賢いんだけど、ついうっかり何かに気づかず車に引かれたとか、大きな流れの中では避けられない出来事が「おおかみおとこの死」であった。つまり、この非合理的な理不尽は、世界が主格だったんです。世界の大きな流れの中では、どうしようもなく避けられないことであった。
「おおかみおとこの死」に対しての細田監督の正確な狙いは分かりませんが、定型的な演出ではないことは間違いない。だとすると、「おおかみおとこの死」については、「意味不明」でいいんじゃないのかなあと思います。世界はいつも勝手で乱暴で、合理的ではないので、人の手で変えられるものでもない。世界の勝手さというか、どうしようもなく不可避な感じを出すためには、ああいう非合理な死を遂げるべきだったのかもしれない。
<参考文献>
アニメスタイル2013.03号
「おおかみおとこの死」
この点のみを、ちょっと追っていきたい。
![10]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/4/f/4f4dda67-s.jpg)
![06]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/4/8/48f67df9-s.jpg)
どうしても理解出来なかった点、それは、「おおかみおとこの死」のシーン。「おおかみこども」に関する議論、問題の本質というのはこの部分が大きな割合を占めると思います。おおかみおとこは、何故あのような理不尽な形でこの物語から退場せざるを得なかったのか。
<1、「おおかみおとこの死」の目的と、シーン自体の説得力の有無>
![37]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/1/9/19d90660-s.jpg)
![05]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/9/d9a59b0c-s.jpg)
「花をシングルマザーにさせるべく、おおかみおとこを退場させたい」という目的は当然あると思います。描きたいシーンを妨げる要素はそれとなく退場させるべきです。この部分は問題ない。問題は、その描写のやり方、。説得力・合理性ある描写ならば、納得はできなくても理解はできる。
だけども、このシーンではそういう描写が欠如していると考えています。「おおかみおとこの死」というものに、こちらから見て納得できる描写があれば、その目的が何であろうと説得力あるシーンとなり、結果受けて側は享受できる。しかし、この「おおかみおとこの死」の一連のシーンには、合理的な演出や描写はほとんどないと言っていい。
<2、「おおかみおとこの死」の意図と、「理不尽」について>
「おおかみおとこ」の死によって、彼を退場させる以外に表現として何を達成したかったのか。
それは、おそらく「強烈な悪」の示唆。
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![20]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/6/a/6a809d52-s.jpg)
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花はおおかみおとこの死後、都会での生活に辛さや息苦しさを感じます。おおかみおとこの事を何度も思い、辛さに負けそうなことを伝える。この辺りから、「都会」というものは、花を困らせる厄介者として描こうとする意図を感じます。このように、都会を悪として描くのであれば、「児相」「近隣住民の苦情」などのジャブを重ねるだけで足りず、不快感を伴うぐらい強い「合理性の無い理不尽」を描かればならないはず。
これが、「おおかみおとこの死」ではないのかと思うわけです。児相なんて目じゃないくらい、この世には「とんでもない悪」があることを示唆している。このシーンは、都会に対しての印象を最悪なものにするためのものであり、非合理的な理不尽を描くべき部分です。ですが、その「非合理的な理不尽」に対して、少し違和感がある。
<3ー1、「理不尽」に内在する道理>
![17]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/1/d1899bd8-s.jpg)
まず1点目は、「理不尽に内在する道理」を描写していない部分。
「理不尽」というのは、「道理に合わないこと」を意味します。つまり、理不尽を描くためには、その道理を一緒に描く必要がある、と思うんです。『Aは怒られず、自分は怒られた』。これが理不尽の単純な構造です。「Aが怒られない(から自分も怒られない)」という道理を一緒に描写して初めて、理不尽を主張できる。道理が無ければ、理不尽は描けない。「おおかみおとこの死」には、「溺死した」という結果はあるんだけど、「~をした(から事故に合わない)」という道理は描いていない。
たとえば、死のシークエンスと合わせて、青信号一つ渡るのでも描写していたとしたら、それだけで道理になりうる可能性(※「信号機をきちんと守って渡るので、事故に合わない」という道理)はあった。しかし、それが明示されていないのでは、「おおかみおとこの死」は理不尽というよりは、「意味不明」になります。『非合理なシーン』であるべきなんだけど、根本的に描写が不足している、と思ってしまう。多少の理不尽さも含んでいるけれど、「おおかみおとこの死」については意味不明の方が印象として強い。
2点目は、キャラクターの動き方。
![37]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/1/9/19d90660-s.jpg)
![02]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/d/c/dc668ee4-s.jpg)
![48]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/e/d/ed97b355-s.jpg)
![32]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/4/f/4fb42c46-s.jpg)
おおかみおとこは、普段から読書家で、勤勉でなおかつ聡明なキャラクターとして描かれています。その上、子供に対して面倒見が良さそうで、子供からも人気がある。つまり、秀才イケメン野郎です。
ここで、「おおかみおとこの死」の一連のシークエンスを振り返ってみましょう。あのシーンは、ナレーションでその日が淡々と述懐されるのみで、おおかみおとこがどのようにして死んだかは、溺死体で見つかったという結果でしか示されていない。ということは、受け手側の我々はその結果で判断せざるを得ないわけですが、このシークエンスだと少なくとも賢い印象とはならない。
このような聡明なキャラクターが、あのような「馬鹿みたいな死に方」をするのは少々納得がいかない。彼は賢いキャラクターなんだから、賢いまま理不尽に死んでいけばいい。それこそ、信号機を青で渡って、撥ねられるだけでその目的は達成されるわけで。こんな素人でも思いつくんだから、『非合理的な理不尽さを保ちつつ、聡明なままキャラクターを退場させること』を、あの細田守ができないわけがない。何か裏があるはず。
<3、細田監督の意図したところ ― (解答編)>
1、2と少し、おおかみおとこの退場について見てきました。「時かけ」「サマーウォーズ」でガチガチの合理的な演出をしてきた細田監督にしては不自然さがある。こんな安易な事をするとは、到底思えない。だったら本人に効いてみよう、ということでアニメスタイルのインタビューを見てみる。
細田 ただ、ひとつ確かにあるのは、今回の映画で描いたモチーフ、ストーリーの流れが、自分にとっては未知の領域だったというか……自分が今までに試したことのない表現を、作品そのものから求められている感覚は、すごくあったと思うんですよ。作品から自分の容量以上の求められていると思った細田守は、「お約束」、青信号を渡って撥ねられて退場なんて描写では、自分の描きたい世界は達成できないと考えた。こりゃあびっくり。つまり、あの「おおかみおとこの死」は、企画や出資者に何か言われたわけでも、制作が遅れたわけでも、コンテが間に合わなかったとか、そういうわけではない。そういう偶然ではなく、明らかに狙って外していたと。
小黒 作っている細田さん自身が、作品に求められたということ?
細田 そう。もちろん、モチーフやストーリーを決めたのは僕なんだけどね。それが今までの手管で表現できるようなものではないという実感は、絵コンテを描いている時からあった。自分の持ち駒では対応できないぞ、と。その持ち駒って何かというとジャンル映画的な作り方ですよね。そのジャンルの中でのお約束だとか、ウェルメイドな娯楽作だとしたらこういう流れになるだろうとか。
(中略)
小黒 この場合のジャンル映画というのは、アクション映画とか、ホラー映画のことだよね。もっと単純明快で、分かりやすい感動作にもできたわけだね。
細田 だけど映画って、そこには収まらない部分も出てくるわけ。ジャンル映画的な約束事からはみ出した部分が、実は映画の面白さだったりする。そういう部分の割合が、今回の作品は今までに比べてすごく多いという実感はありました。(「アニメスタイル2013.03号」より引用)
だとするならば、気になるのは、細田守が描きたかった「おおかみこどもの雨と雪」の世界。どんな世界を描くために、ああいった演出をしたのか。
小黒 単純にジャンル映画的にまとめられる内容ではなかった、と。
細田 そうですね。そもそも今回の映画は、モチーフからしてジャンル化できるものではなかった。つまり、親が子を育てること……その時々の大変なこと、楽しいこと、つらいことなどを積み重ねていって、その中で「親というのはどこから始まって、どこで終わるのか」ということをまるごと1本の映画の中で描きたい・・・・・・というような作品は、そもそもジャンル映画ではないわけですよ(笑)。
(中略)
小黒 分かりやすく面白がらせるような演出を避けたのは、どうしてなんですか。
細田 言い方が難しいんだけど、つまり、全人類の歴史の中に脈々と続いている「親が子を育て、子が成長していく」という営みのダイナミズムみたいないものを描くとき、そこに演出が出ちゃいけないような気がしたわけですよ。デフォルメしちゃいけない、と言ったほうがいいのかな。
小黒 なるほど。
細田 その上で、子供が成長していくということ、その時間の流れを、もっと大きな視点で捉えた映画にしたかった。部分ごとの面白さとか、分かりやすさではなくてね。モチーフに対して誠実になろうとすると、いよいよそうなっていくわけです。
(中略)
細田 もう少し違う喩えをすると、人が死ぬときに自分の人生に満足するかしないか、という話にもつながるわけ。なるべく満足して死ねたらいいな、と思うけど、本当にそんなことができるのかどうか分からないわけじゃん。人生、常に半ばなわけだから(笑)。
小黒 まあ、若い読者にはピンと来ない話かもしれないけれど、満足して死ぬために、毎日を積み重ねているわけですね。
細田 本当はそうなんだよね。もちろん、そんなにきっちりと思いどおりの生きざまを積み重ねていけるわけじゃないし、その時々によって激情に流されたりすることもままあるけど、(人生を)大きく見て、満足できるかどうか、達成感があるかどうか・・・・・・みたいなことが、その人の生きてきた時間の勝ちを決めるんじゃないかなと思うんだよね。
小黒 そういうことを描く映画だったと。
細田 うん、そうなんです。(「アニメスタイル2013.03号」より引用)
細田監督の意図としては、とにかく大きな流れの中での家族、生命を描きたかった。面白く分かりやすく描くことはできなくもないんだけど、それだとモチーフに対して誠実になれない。あの細田守をしても、人の一生を大きな流れの中で描くということは、演出の範疇を超えていると思わせた。
そういう点で見ると、賢いキャラクターがバカみたいに理不尽な死を遂げるのも、大きな流れの一つとしては、自然なのかなと腑に落ちた。なるほど、これはそういう演出で狙ってどうのこうのする話ではなかったんだなと。おおかみおとこが、普通に死ぬ方が分かりやすくていいんだけど、それではモチーフから逃げていることになるんですね。だから、あんな理不尽な死に方が、大きな流れで見た時には正しい。
いや正しいというか、「そうなってしまうこともあるよね」という感じだと思う。おおかみおとこは賢いんだけど、ついうっかり何かに気づかず車に引かれたとか、大きな流れの中では避けられない出来事が「おおかみおとこの死」であった。つまり、この非合理的な理不尽は、世界が主格だったんです。世界の大きな流れの中では、どうしようもなく避けられないことであった。
「おおかみおとこの死」に対しての細田監督の正確な狙いは分かりませんが、定型的な演出ではないことは間違いない。だとすると、「おおかみおとこの死」については、「意味不明」でいいんじゃないのかなあと思います。世界はいつも勝手で乱暴で、合理的ではないので、人の手で変えられるものでもない。世界の勝手さというか、どうしようもなく不可避な感じを出すためには、ああいう非合理な死を遂げるべきだったのかもしれない。
<参考文献>
アニメスタイル2013.03号
アニメOPにおけるシルエットの様々と、大畑清隆の存在
今回は、シルエットの表現と大畑さんについて。
<1、シルエットの基本的な役割・意味合い>
シルエットの基本的な役割は、「キャラクターがどのような人物であるか」をオシャレに表現できる部分にあります。この部分は「とらドラ!」OP1が分かりやすいので、まずはこれを。
■とらドラ! OP1「プレパレード」(2008)

![53]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/b/3/b3414211-s.jpg)
![59]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/e/4/e4484637-s.jpg)
まずは、シルエットの色に注目。
大河はピンク、竜児はオレンジですね。竜児は不良のような姿見だけど、実際にはとても温和であることは劇中で示されている通りで、このシルエットは、彼が持つ温和な性格を表現している。一方、大河には刺々しいショッキングピンクを使っているのは、彼女の性格に合わせているから、と直感的に分かる。
このように、シルエットによる簡略化はキャラクターがどんな性格・性質であるか、極めて簡単にいえば、「こいつは青だからクールなキャラだな」のような印象付けに効果的な手段と思います。アニメキャラの髪色の役割と似ていますね。
<2、シルエットの動きを活かした、「踊り」の芝居>
シルエットではキャラクターの輪郭が強調されるために、「キャラの動き」というものがとても目を引く。そのため、踊りの芝居をするOP・EDも多く散見されるのもまた特徴の一つであって。具体例を何個か見てもらいたい。
■つり球 OP「徒然モノクローム」(2012)


目、鼻、表情、服、その他のディテールを全て排除され、キャラの輪郭のみを描くことにより、焦点は「動き」そのものに自然と行く。魚というモチーフをシルエットにし、クレジットや背景で使っているのもポイント。
彼らの陽気さ・元気さ、お話自体の爽快さを小気味いい踊りによって演出するとともに、キャラ立ても達成している上手いOP。
■うる星やつら ED07「OPEN INVITATION」(1984-85)

踊るラムちゃん。つり玉OPと構造は似ていて、やはりディテールの有無によって比較させる。これは点滅が特徴的かな。点滅を繰り返すことで、(色付きのラムちゃんが強調され)より可愛さが引き立つ。ちょっと見えない方がエロいみたいな、そんな感じ。
■東京アンダーグラウンド OP2「HEY YOU!!〜失ってはならないもの〜」(2002)

(絵コンテ・演出:都留稔幸)
情念たっぷりの手の芝居が見所。ふんわりしてるスカートもいいですね。これを手掛けたのは、都留稔幸というアニメーターで、彼は『NARUTO』での活躍が有名でしょうか。この都留さん関連でもう一つ。
■GTO OP2「ヒトリノ夜」(2000)

(絵コンテ・演出・作画:都留稔幸)
アクション作画に造詣が深くなくても分かる、キレッキレの芝居。シルエットによって確かに動きは強調されるけれども、それは芝居の細かさ・内容までを担保しない。鬼塚がパンチを避けて、一発ぶち込んで、キックしてというのが鮮明に伝わる。芝居が上手い。
このように、シルエットを採用することでキャラクターの動きが強調・誇張され、結果的にシルエットの使用はキャラクターが躍動的になるかどうかにも影響することが分かります。作画だけでも押しきれる場合はあるけれど、シルエットを採用すると、アクションがより際立ちキャラが躍動する。
このシルエットの効果を非常に洗練して使ったOPがありまして。日常系アニメOPの歴史において、このOPがエポックではないかなと。
<3、エポックメイキングな発明:「シルエット影」>
■あずまんが大王 OP「空耳ケーキ」(2002)

(絵コンテ・演出:大畑清隆)
それが、「あずまんが大王のOP」です。これは後続作品に多大なる影響を与えたのではないかなと。特に、踊り跳ねる少女たちの後ろの影、このシルエット風の影(以下、シルエット影)がエポックな発明です。
![59]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/2/4/2472126e-s.jpg)
![53]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/5/5/5571458b-s.jpg)
とてもシンプルな背景に、キャラクターと影のみという構成。この時点で度肝も抜かれる。シルエット影の使用の意図は、立体と躍動の演出でしょう。真ん中に光源があるかのような感じですよね。この影が凄まじい。
![32]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/8/7/87794f81-s.jpg)
![07]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/e/2/e2d2ff97-s.jpg)
さきほどまで散々見てましたが、シルエットでは動きが強調されます。ただ全部シルエットにしてしまうと、キャラクターのディテール的可愛さが消えてしまうのは言うまでもなく。キャラクターの可愛さと動きを両立させ、躍動感を出せているのは、このシルエット影のおかげ。
このシルエットの使い方は当時、画期的だったはず。というのも、今となって、これぐらいのシンプルな背景は「日常系アニメ」で散々に見られますが、当時は当然そんなジャンルは無く、4コマ萌え漫画も皆無に等しい状況でした。そうなると、シンプルな背景を使ったOPもほとんどないわけで、そもそもシルエット影自体を使う機会が無かった。「日常系アニメ」の黎明期たる2002年近辺で、このOPが画期的なのは必然とも言える。
そういう具合に考えると、4コマ萌え漫画の始祖たる「あずまんが大王」のアニメが後続作品(※特に日常系アニメ)に与えた影響は相当なものだろうと思うわけで。特にOPの影響は大きい。
<4、シルエット影の影響と一般化、その後の大畑OP>
そんで、ここからはその影響について見て行きたい。
特に分かりやすいのは、シャフトの演出家である大沼心さん。
彼は非常に影響を受けていて、手がけた作品に顕著に出ている。
■ひだまりスケッチ×365(第2期)「?でわっしょい」(2008)

お手玉な感じでぽんぽんと女の子が飛ぶ。こりゃまあオマージュですよね。
オマージュだと思うけど、本家と見比べると落ちていく様子が足されているのが分かる。
新たな表現を追加して昇華しているのが良い。
■化物語 10話OP「恋愛サーキュレーション」(2009)

有名な化物語のOP。シルエット影を効果的に使用することで、彼女の重層性を表している。
影も単調にならないように、カットによってスピードを変えてたり。
特に1カット目は、PAN方向に合わせて慣性が効いてる感じが出てて上手い。
■ef - a tale of memories「euphoric field」最終話ver(2007)

全面シルエットの飛び込み。
2人の関係性について、想像が深まる。
最終話以外だと泡のように弾けていて、それも良かった。
後は、「夏のあらし」(※ED)ではシルエットオンリーで演出していたりする。こんな感じで、大沼さんはすごく影響受けてます。まあ大沼さんぐらい凄腕の演出家が影響を受けているのならば、その他諸々大勢の演出家にも同じように影響はあっただろうと。実際に、次のように日常系アニメでは散見される。
そんで、大畑OPのシルエット影の影響というのはもう沢山ありまして、少し探しただけでもこれだけ見つかる。「よく分からない所(背景)にキャラクターがいて、そこに影がつく」というのは凡そ大畑OPの影響と言っても良いのではないかと思う(※キャラの縁取りとかは4コマ漫画からの影響かもしれないから微妙な所だけど、まあ広義的に)。
![46]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/a/4/a472902d-s.jpg)
![16]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/b/5/b561c47a-s.jpg)
(とらドラ! OP1「プレパレード」(2008))
![59]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/8/5/85afcfe8-s.jpg)
![42]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/9/9/9990d92e-s.jpg)
![30]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/2/e/2e2ffeb3-s.jpg)
![41]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/6/3/63a91ebc-s.jpg)
(上から順に「僕は友達が少ない」、「GJ部」、「SHIROBAKO」、「がっこうぐらし!」OP)
日常系アニメの乱発と、それによるシルエット影の一般化により、まあ珍しいもんではなくなってしまった。その結果、今大畑OPを見てもさほど驚きがない。特殊な物が一般化したことで、良くも悪くもオリジナルの特殊性が喪失してしまった。
さてその後の大畑OPはというと、更に洗練されたものになっている。
■WORKING!!(第1期)「SOMEONE ELSE」(2010)

本家のシルエット影は一味違う。他のと比べるとちょっと遠目に付けてますね。影自体は、「あずまんが大王」と比べるとシンプルなものに。動き重視で、影とキャラの連動で立体を生み出す。さらに、クレジットや背景に被さる時に影が屈折してることで、キャラクターの存在・立体感がより増している。
![58]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/6/a/6a9161b0-s.jpg)
![17]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/3/d/3d663edf-s.jpg)
驚くのは、影が付いてる場所。「あずまんが大王」のシルエット影も(ビジュアル重視だったので)さほど厳密ではなかったけれども、これだけずらしているのに違和感ないどころか立体を感じられるのはまあスゴイ。
■WORKING!!'(第2期)「COOLISH WALK」(2011)

2期も同じく、やはりこの影の屈折・曲がり方が上手い。
「キャラ→クレジット→BG」と段差が設けられているので、奥行きが出ている。
■WORKING!!!(第3期)「NOW!!!GAMBLE」(2015)

![37]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/8/b/8b067e7c-s.jpg)
![50]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/5/b/5ba76429-s.jpg)
山田ァ!うざ可愛いじゃねえか!
アクションつなぎからの着地のキレ、そして髪の毛のリアクションが良い。
こういうところで、シルエット影は大活躍する。
シルエットという部分に絞って、大畑清隆という演出家について少し見てきました。遅筆だとか色々言われますが、それを補って余りあるくらいには才がある。各話演出もいいんだけど、個人的にはOPですね。OPのコントロールは抜群にずば抜けている。最近は、「魔法少女リリカルなのはViVid」「WORKING!!!」で久々に各話演出を担当しているので、これから各話演出・コンテを多くやってくれるかもということで期待。
何か上手くまとまらないが、こんな感じで…
大畑清隆と言えば、「シスプリ」のEDも必見です。岸田隆宏との名ED。
<参考文献>
・原作のラストまで描ききる! TVアニメ「WORKING!!!」鎌倉由実監督インタビュー
・大畑清隆 OP・ED集
<1、シルエットの基本的な役割・意味合い>
シルエットの基本的な役割は、「キャラクターがどのような人物であるか」をオシャレに表現できる部分にあります。この部分は「とらドラ!」OP1が分かりやすいので、まずはこれを。
■とらドラ! OP1「プレパレード」(2008)

![53]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/b/3/b3414211-s.jpg)
![59]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/e/4/e4484637-s.jpg)
まずは、シルエットの色に注目。
大河はピンク、竜児はオレンジですね。竜児は不良のような姿見だけど、実際にはとても温和であることは劇中で示されている通りで、このシルエットは、彼が持つ温和な性格を表現している。一方、大河には刺々しいショッキングピンクを使っているのは、彼女の性格に合わせているから、と直感的に分かる。
このように、シルエットによる簡略化はキャラクターがどんな性格・性質であるか、極めて簡単にいえば、「こいつは青だからクールなキャラだな」のような印象付けに効果的な手段と思います。アニメキャラの髪色の役割と似ていますね。
<2、シルエットの動きを活かした、「踊り」の芝居>
シルエットではキャラクターの輪郭が強調されるために、「キャラの動き」というものがとても目を引く。そのため、踊りの芝居をするOP・EDも多く散見されるのもまた特徴の一つであって。具体例を何個か見てもらいたい。
■つり球 OP「徒然モノクローム」(2012)


目、鼻、表情、服、その他のディテールを全て排除され、キャラの輪郭のみを描くことにより、焦点は「動き」そのものに自然と行く。魚というモチーフをシルエットにし、クレジットや背景で使っているのもポイント。
彼らの陽気さ・元気さ、お話自体の爽快さを小気味いい踊りによって演出するとともに、キャラ立ても達成している上手いOP。
■うる星やつら ED07「OPEN INVITATION」(1984-85)

踊るラムちゃん。つり玉OPと構造は似ていて、やはりディテールの有無によって比較させる。これは点滅が特徴的かな。点滅を繰り返すことで、(色付きのラムちゃんが強調され)より可愛さが引き立つ。ちょっと見えない方がエロいみたいな、そんな感じ。
■東京アンダーグラウンド OP2「HEY YOU!!〜失ってはならないもの〜」(2002)

(絵コンテ・演出:都留稔幸)
情念たっぷりの手の芝居が見所。ふんわりしてるスカートもいいですね。これを手掛けたのは、都留稔幸というアニメーターで、彼は『NARUTO』での活躍が有名でしょうか。この都留さん関連でもう一つ。
■GTO OP2「ヒトリノ夜」(2000)

(絵コンテ・演出・作画:都留稔幸)
アクション作画に造詣が深くなくても分かる、キレッキレの芝居。シルエットによって確かに動きは強調されるけれども、それは芝居の細かさ・内容までを担保しない。鬼塚がパンチを避けて、一発ぶち込んで、キックしてというのが鮮明に伝わる。芝居が上手い。
このように、シルエットを採用することでキャラクターの動きが強調・誇張され、結果的にシルエットの使用はキャラクターが躍動的になるかどうかにも影響することが分かります。作画だけでも押しきれる場合はあるけれど、シルエットを採用すると、アクションがより際立ちキャラが躍動する。
このシルエットの効果を非常に洗練して使ったOPがありまして。日常系アニメOPの歴史において、このOPがエポックではないかなと。
<3、エポックメイキングな発明:「シルエット影」>
■あずまんが大王 OP「空耳ケーキ」(2002)

(絵コンテ・演出:大畑清隆)
それが、「あずまんが大王のOP」です。これは後続作品に多大なる影響を与えたのではないかなと。特に、踊り跳ねる少女たちの後ろの影、このシルエット風の影(以下、シルエット影)がエポックな発明です。
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とてもシンプルな背景に、キャラクターと影のみという構成。この時点で度肝も抜かれる。シルエット影の使用の意図は、立体と躍動の演出でしょう。真ん中に光源があるかのような感じですよね。この影が凄まじい。
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さきほどまで散々見てましたが、シルエットでは動きが強調されます。ただ全部シルエットにしてしまうと、キャラクターのディテール的可愛さが消えてしまうのは言うまでもなく。キャラクターの可愛さと動きを両立させ、躍動感を出せているのは、このシルエット影のおかげ。
このシルエットの使い方は当時、画期的だったはず。というのも、今となって、これぐらいのシンプルな背景は「日常系アニメ」で散々に見られますが、当時は当然そんなジャンルは無く、4コマ萌え漫画も皆無に等しい状況でした。そうなると、シンプルな背景を使ったOPもほとんどないわけで、そもそもシルエット影自体を使う機会が無かった。「日常系アニメ」の黎明期たる2002年近辺で、このOPが画期的なのは必然とも言える。
そういう具合に考えると、4コマ萌え漫画の始祖たる「あずまんが大王」のアニメが後続作品(※特に日常系アニメ)に与えた影響は相当なものだろうと思うわけで。特にOPの影響は大きい。
<4、シルエット影の影響と一般化、その後の大畑OP>
そんで、ここからはその影響について見て行きたい。
特に分かりやすいのは、シャフトの演出家である大沼心さん。
彼は非常に影響を受けていて、手がけた作品に顕著に出ている。
■ひだまりスケッチ×365(第2期)「?でわっしょい」(2008)

お手玉な感じでぽんぽんと女の子が飛ぶ。こりゃまあオマージュですよね。
オマージュだと思うけど、本家と見比べると落ちていく様子が足されているのが分かる。
新たな表現を追加して昇華しているのが良い。
■化物語 10話OP「恋愛サーキュレーション」(2009)

有名な化物語のOP。シルエット影を効果的に使用することで、彼女の重層性を表している。
影も単調にならないように、カットによってスピードを変えてたり。
特に1カット目は、PAN方向に合わせて慣性が効いてる感じが出てて上手い。
■ef - a tale of memories「euphoric field」最終話ver(2007)

全面シルエットの飛び込み。
2人の関係性について、想像が深まる。
最終話以外だと泡のように弾けていて、それも良かった。
後は、「夏のあらし」(※ED)ではシルエットオンリーで演出していたりする。こんな感じで、大沼さんはすごく影響受けてます。まあ大沼さんぐらい凄腕の演出家が影響を受けているのならば、その他諸々大勢の演出家にも同じように影響はあっただろうと。実際に、次のように日常系アニメでは散見される。
そんで、大畑OPのシルエット影の影響というのはもう沢山ありまして、少し探しただけでもこれだけ見つかる。「よく分からない所(背景)にキャラクターがいて、そこに影がつく」というのは凡そ大畑OPの影響と言っても良いのではないかと思う(※キャラの縁取りとかは4コマ漫画からの影響かもしれないから微妙な所だけど、まあ広義的に)。
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(とらドラ! OP1「プレパレード」(2008))
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(上から順に「僕は友達が少ない」、「GJ部」、「SHIROBAKO」、「がっこうぐらし!」OP)
日常系アニメの乱発と、それによるシルエット影の一般化により、まあ珍しいもんではなくなってしまった。その結果、今大畑OPを見てもさほど驚きがない。特殊な物が一般化したことで、良くも悪くもオリジナルの特殊性が喪失してしまった。
さてその後の大畑OPはというと、更に洗練されたものになっている。
■WORKING!!(第1期)「SOMEONE ELSE」(2010)

本家のシルエット影は一味違う。他のと比べるとちょっと遠目に付けてますね。影自体は、「あずまんが大王」と比べるとシンプルなものに。動き重視で、影とキャラの連動で立体を生み出す。さらに、クレジットや背景に被さる時に影が屈折してることで、キャラクターの存在・立体感がより増している。
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驚くのは、影が付いてる場所。「あずまんが大王」のシルエット影も(ビジュアル重視だったので)さほど厳密ではなかったけれども、これだけずらしているのに違和感ないどころか立体を感じられるのはまあスゴイ。
■WORKING!!'(第2期)「COOLISH WALK」(2011)

2期も同じく、やはりこの影の屈折・曲がり方が上手い。
「キャラ→クレジット→BG」と段差が設けられているので、奥行きが出ている。
■WORKING!!!(第3期)「NOW!!!GAMBLE」(2015)

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山田ァ!うざ可愛いじゃねえか!
アクションつなぎからの着地のキレ、そして髪の毛のリアクションが良い。
こういうところで、シルエット影は大活躍する。
シルエットという部分に絞って、大畑清隆という演出家について少し見てきました。遅筆だとか色々言われますが、それを補って余りあるくらいには才がある。各話演出もいいんだけど、個人的にはOPですね。OPのコントロールは抜群にずば抜けている。最近は、「魔法少女リリカルなのはViVid」「WORKING!!!」で久々に各話演出を担当しているので、これから各話演出・コンテを多くやってくれるかもということで期待。
何か上手くまとまらないが、こんな感じで…
大畑清隆と言えば、「シスプリ」のEDも必見です。岸田隆宏との名ED。
<参考文献>
・原作のラストまで描ききる! TVアニメ「WORKING!!!」鎌倉由実監督インタビュー
・大畑清隆 OP・ED集
「異能バトルは日常系のなかで」は、カレカノを継ぐもの
■異能バトルは日常系のなかで http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/inoubattle/index2.html
えーとですね、まず僕は『彼氏彼女の事情(98)』の大ファンであって、アニメから原作単行本を購入するに至るぐらい好きな作品なんですね。そんで、先日知人から「異能バトルがカレカノっぽいよ!」と言われたのが、視聴のきっかけです。最初の方の話数では、その異能バトルにおける「カレカノっぽさ」というのは、あまり感じなかったんですね。キャラの掘り下げ方は確かに「カレカノっぽいなあ」という程度。それぐらいの感覚で、「うーんまあ少しカレカノっぽいかなあ」の認識でした。
まず前提として、「異能バトル」の魅力として確実にあるのは、大地コンテの良さですよね。
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(『異能バトル』02.04話 大地コンテ回)
ここは、「異能バトル」見てる人みんな相違ないと思う。だから、「カレカノっぽさ(90年代のガイナっぽさ)」=大地さんかと思った。大地さんは、緩急のついたカット割り、テンポが良いギャグシーンでは直感的な普通の構図で漫画的表現を多く入れて、逆にシリアスな場面では俯瞰アングルや逆光の使用で演出します。こういったのが、僕が感じる「カレカノっぽさ」かなあと眺めてた。
ですが、06話見ると、考えが全くとして変わったんですよ。びっくりするほど。
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(『異能バトル』03.06話 小倉コンテ回)
『異能バトル』の魅力=90代のガイナ的な魅力=大地コンテ、かなあ思ってたんだけど、03.06話(特に06話)を見ると、考えが変わりました。大地コンテの面白さは当然あるんだけど、「カレカノっぽさ」という観点においては、そういった部分は小倉陳利・大塚雅彦から発生してる気がしたんです(※高橋・清水コンテもいい感じなんだけど、ここでは割愛)。小倉コンテ、大塚演出ですね。ここから発生している気がする。
小倉さんは、『彼氏彼女の事情』において初コンテを担当し、平松禎史、高村和宏さんと共に活躍された人です。『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』においては、磯パートの後(※弐号機にロンギヌスの槍がグサグサ刺さる所)を担当したりとアニメータとしても凄い方です。安藤健・大塚雅彦(現:トリガー代表取締役)さんは、同じく『彼氏彼女の事情』において、演出を6話数ほど担当し、同作品の作風を支えました。
(0)、そもそも「カレカノっぽさ」ってなんなのか。
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大量のモノローグを退屈にしないカット割りや、フランクな心情をそのまま示す直接的な映像だったり、作画負担が多いわけではないのに自然と絵に没入できるというか、反転画像などトリッキーで実験的な映像などが挙げられますが、一番は独特のキャラクターの掘り下げ方(※キャラクターに内在する弱い側面の描写)ですね。こういうのが「カレカノっぽさ」と考えてる。
今回、『異能バトル』から漂う「カレカノっぽさ」を考えるため、『カレカノ』小倉コンテ回だけ見直しました。その上で、『異能バトルは日常系の中で 06話』と、『彼氏彼女の事情 02話』を比較しながら、小倉演出・コンテについて自分なりの考えを説明していきたいと思います。
まずは、ボクが思う小倉コンテ、大塚演出の具体例を箇条書きでダダっと。
(1)構図の手法
横顔ドアップ抜きで口元(感情)隠す
同ポ、ポン寄り、その逆の多さでテンポを出す
(2)止め絵の手法
バンクの積極的使用
顔隠しの絵作り
(3)深刻なシーンの描き方
シリアスな場面を直接的に描写
回想シーンのインサート方法
それぞれ、以下で説明していきます。
(1)構図の手法
(a)横顔ドアップ
小倉コンテでは、日常の些細な事象、キャラクターの心に内在する感情の機微な表現をまず、平面的な構図で演出します。特徴的なのは、こういった横顔ドアップのカット。
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(『彼氏彼女の事情』02話)
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(『異能バトルは日常系の中で』06話A)
こうした横顔ドアップが非常に多い。(ここでは載せていませんが)『彼氏彼女の事情 12話』では、口元を隠すぐらいまで寄るカットもあり、キャラクターの感情表現において最も重要であろう「目」「口」を画面外に出す。画面外に出すことで、キャラクターの心理は視聴者に委ねられる。つまり、想像力を喚起させるような演出をしているということです。
(b)同ポ(同ポジション)・ポン寄りの多用
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(『彼氏彼女の事情』02話B)
これは一連のカット(※一部短いショットは省略)です。宮沢が有馬に未経験の感情を抱き始めているシーン。同ポとは、同じポジションでのカットのこと。そのまんまですね。そして、そこからのポン寄り(キャラへの寄り)をして、また同ポに帰ってくる。こういうカット割り構成がまたしても多い。
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(『異能バトルは日常系の中で』06話A)
これはサユミさんの妹マイヤと電話をして、サユミさんの中学生時代の情報を集めてるシーン。サユミさんの不機嫌さの原因を究明しようとしてる。べつだん難しい構図を使用するわけでもないのに、同ポとポン寄りの使用で、テンポが良くなる。それぞれ、途中に回想の短いカットを挟んだりしてスピード感を増すが、最終的には元ある構図へと帰ってくる。ただ近年は、OL(オーバーラップ)の効果も追加されていることが多い。
次は、(a)(b)の応用例。
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(『彼氏彼女の事情』02話Bラスト)
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(『彼氏彼女の事情 02話』Bラスト)
横顔ドアップ+3段階のポン寄り。ここでは構図は全く変わっていない。最初は、客観的であった画面がどんどん主観的になっていくのが分かるだろうか。有馬という人物に対して、視聴者が最初は観客として見ていたが、同一化して、有馬と近い感情になっていくことが分かる。2つ目は、画面的なカッコよさの演出。
(2)止め絵の手法
(c)半分顔隠し・カゲ付けの進化
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(『彼氏彼女の事情』02話Aラスト)
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(『異能バトルは日常系の中で』 06話Aラスト他)
これは(1)と通じるところが多いですね。見る側の想像力にお任せ、という感じの演出。だけど、「異能バトル」ではその演出が少し現代風に進化していて、まあこういったのは小倉コンテ限らずよく見るんですが、目より上にカゲを落とすってヤツですね。これを(1)と併用したりもする。『カレカノ』みたいな、キャラ顔前アップ画面もいいんだけど、もっと現代風なスマートな表現に昇華されていますよね。
(3)深刻なシーンの描き方
(d)直接的な感情(エゴ・内在する弱い側面)描写
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(『彼氏彼女の事情』02話Bラスト)
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(『異能バトルは日常系の中で』06話AB他)
エゴ、自己に対する言及、正直な気持ちの独白について。小倉コンテでは、『新世紀エヴァンゲリオン』のような直接的な描写をします。こういった直接的な描写は、モノローグが多くなる少女漫画では、顕著に見られます。だけど、アニメでこれを再現しようと思うと難しい。「こいつはペラペラ喋るキャラ」とばかり認識されてしまう可能性も少なくないからですね。
「私のどこがおかしいのよ(カレカノ)」「私はみなさんの能力が怖いんです(異能)」とか、そういった自分の存在に対する問いかけや、自分の正直な(恐怖や心配といった)弱い気持ちの吐露というのは幼稚でかっこわるいような描写と見受けられがちです。しかし、こういった深刻な描写は思ったよりも大事なんですよ。キャラクターというのは、いつも強い存在で描くと、立体的になり得ません。それは、現実には、いつも強く明るい人など存在しえないからです。
以上の3点。1、構図(ポン寄り、その逆、同ポの多使用)。2、止め絵(顔隠しによる想像力喚起)。3、弱い側面の直接的な描写。これらに、小倉コンテ、ひいては「カレカノっぽさ=90年代ガイナっぽさ」が起因しているのではないのかと考えました。
簡潔にまとめると、バンクと同ポ、ポン寄りだけで、お話を展開させて、しかも面白くしてるトコに凄みを感じます。予算や時間も少ない中、こういった作画負担を軽減するようなコンテ・演出というのは、『新世紀エヴァンゲリオン』『彼氏彼女の事情』などでは多く見受けられ、今回の『異能バトルは日常系の中で』でも意図的な作画リソースへの配慮を感じます。何よりも一番、難しい構図なんていうのは殆どないんですよ。それがスゴイ。
といった感じです。小倉、安藤、大塚さんは、庵野・鶴巻といった「ガイナ」の遺伝子を受け継いでいるように感じます。ガイナックスファンは見たほうが良さげな気がしますよ。それぐらい、この『異能バトル』は普遍性を持つ良い作品になり得えると思っています。
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「遺言」の中の1節で、「おたくのビデオ」に触れていたりして存在や内容は知ってたんですけど、そんな語ることもないんじゃないのかなあと感じました。が、ちょっと気になったことがあったので。(※この記事における引用は、特に注釈が無い限り「遺言」からです。)
まあ、どんなお話かをかいつまんで言うと、主人公・久保っていうオタク的なものには興味がなかった学生が、アニメとか特撮にハマっていくうちに、女の子に振られるのを機に真のオタクを目指すって話なんですね。作品自体の面白さとか、そういうのはあまりないんですが、制作背景とこの話を山賀さんが作ったこと、この2つから興味が湧きました。
岡田脚本とクレジットされていますが、「遺言」によると、全体の構成等「テニスをしている主人公が、オタクになっていって、女の子に振られる」といった基本的なプロットは山賀。
![29]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/c/d/cd111b08-s.jpg)
![47]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/5/8/583bb791-s.jpg)
ここで少し、「遺言」の引用から、この時代の背景を見てみます。ちょっと長いんですが、後半にも大事なので概要だけでも掴んでくださいね。
「宮崎勤事件」という幼女を連続して殺害した事件。その犯人が宮崎勤がオタクであったという点。それによる世間からのオタクバッシング。そして、俺らも同じオタクじゃないかという問題。その問題に対して、「あんなのは俺たちと同じではない」っていうオタクによるオタクのバッシングと、オタク自体を気持ち悪いものとみなすオタク差別が起きた。だけど、岡田みたいに、「俺たちと宮崎勤の差なんて殆どないんだ」という考えを持つ人もいた。こんな感じです。
では、作品に入って行きましょう。
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1991年。主人公は、この時点で既にオタク。時系列をごちゃまぜにしているので、これは既に会社を作って左遷された後の久保くんです。
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![32]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/a/e/ae66c0ac-s.jpg)
話は戻って1982年。テニスやってる主人公は、まだアニメや特撮になんて全く興味が無い。そんで付き合ってる彼女もいる。つまり、「あっち側」にいるというわけです。(※「遺言」内で出てきた、「こっち側」「あっち側」の考え方を流用。「こっち側」というのは、オタクサブカル方面の人たちで、「あちら側」というのは、普通の人、上流階級、今の言葉で言うとリア充なんかを指す」)
![01]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/b/3/b39d25df-s.jpg)
![22]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/7/8/78d6903d-s.jpg)
でも、久保は飲み会とかも行くけど、決して全力で楽しめてない。場の雰囲気には合わせてるけど、他のメンバーみたく飲んでワイワイというのも性に合わないんだろうし、雰囲気を好んでない様子が伝わってくる。 周りに合わせるのに必死というわけでもなく、なんとなく「これって楽しいのかなあ」という風に考えてしまっている。客観的に、外から冷めた自分を見つめてしまっている。人気者でもなければ、それに付いていく金魚のフンでもない。どちらでもない所に久保はいるのです。
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で、オタクの人たちとの最初の出会い。見たら分かる通り、「なんだこいつらは」と異物的に考えてるのが伝わってくるし、相手の話し方や動き方を見て嫌がってる。つまり、ここでは普通の人がオタクに異常者という偏見を抱いている図。ストーリーとしては、その中に友人・田中がいた。
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そして自分の大学祭で、田中たちが同人販売をしているのを目撃する。ここでもまだオタクに対する色眼鏡はとれていない。おかしな奴らが、おかしな事をしている。変な奴らに対する恐怖さ・不気味さと、それ(同人、コスプレ)を理解できない未知的な恐怖とが一緒くたになって久保を襲っている。「こっち側」に対する偏見は強くなっているが、「こっち側」の世界の実情を知りつつもある微妙な状況。
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![22]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/8/7/87b140f1-s.jpg)
田中との昔話も経て、オタク(同人メンバーが集まる)の部屋へ。最初は異常だと思っていた「こっち側」の世界を目の前にし、少しずつではあるが理解し、子供のころ見たアニメなんかを中心に楽しみや魅力を見出しつつある。その後、彼女と話すときに、もう既にどっぷりと「こっち側」に浸かってることが分かる。久保がオタクになった原因としては、山賀博之の思考に見いだせるものがある。
次の場面、映画を待つ久保達と酔っぱらいの絵は、この構図を端的に、それも刺々しく表している。
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![42]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/6/2/628b817d-s.jpg)
ここでは、あからさまにいい女が「あっち側」の世界にいることを示している。女だけではなく、いい男もあっちの世界には多くいるのだ。それは単純に見かけだけではなく、性格や社交性なんかもそうだと思う。一般の社会から拒絶された(自分には合わない)と感じ、行き場を失った人が辿り着くのが「こっち側」。「あっち側」には合わないのか、はたまた適応したくてもできないのかは分からないけど、そういった人たちが来るという点は納得ができる。つまり、この画像がすべてを表しているといっても過言ではない。

オタクはなるべくしてオタクになった。普通の社会で生きようと思えばできなくはないが、人にはそれぞれ好みがある。インドアな人もスポーティな人も、みんなどこかで本当の楽しさ・人生の幸せを見つけよう努力を繰り返している。どっちの世界がより優れているかという優劣みたいなものはなく、合うか合わないか、ただそれだけ。でも、「こっち側」の人が「あっち側」に対する羨望や恨みつらみを感じているのは間違いない。これは、理屈ではなく、「こっち側」にいる人しか分からない感情だと思う。ワイワイするのが性に合わない自分に対する社会不適合感にさいなまれるとか、多人数での飲み会とか遊びとかに楽しさを感じているのか分からないとか、そういうもの。
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![27]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/9/b/9b392eed-s.jpg)
この後主人公の久保は、オタク活動にますます精力的になり、結果彼女に男ができ振られる。そうして、「テニスやってる奴はよくて、アニメやってる奴はダメなのか」と卑屈に嘆く。ここに、山賀のオタクに対する考えを感じます。オタク(庵野)ってキモいとこもあるかもしれないけど、接してみると分かることもあるよと。実際に、彼女はオタクを知ろうとしませんが、久保は恐れながらもオタクを知ろうとしています。
脚本的には、振られたことを機に真のオタク、オタキングになることを決意して、2作目に繋がる。正直に言うと、2作目は触れるポイントが少ない。なぜかというと、岡田斗司夫の人生に脚色を加えただけだから。久保は、会社を作り成功するが、銀行マンに嵌められ左遷される。無職になった田中と再び出会い、新会社を作り今度こそオタキングとなる。触れるべきポイントは、元彼女への執着、福原という女の子の存在、オタクは一生オタクであるということぐらいだと思う。
そんで、本題にいきます。
僕は、「おたくのビデオ」を見て、山賀という存在について考えるべきだと感じました。山賀博之というと、「ウル」の制作が再びスタートしたけど、「王立」「まほろまてぃっく」「アベノ橋☆魔法商店街」といくつも監督をやっておきながら、ガイナックスでは地味な存在だと思う。しかし、山賀は庵野・赤井と並んで天才であるし、取り上げるべき人であると思ったんです。
ガイナックスで、岡田斗司夫や庵野秀明といった濃いオタクに囲まれながら、脚本を書いたり、企画を立てたりする、山賀博之という存在。「オタクが当たり前」いうガイナックスの中で、オタクでない山賀博之の存在とはどんなものなのか、どんな人なのか。
僕自身、山賀について知らないことも多かったので、今回知人を通じて、色々と情報を得ました。でも、とりあえずは、「遺言」における岡田斗司夫からの目線で山賀を見てみましょう。
これもまた本人と他人から見た時の認識のズレ。ここでは、「オタクじゃない」と主張する理由がいくつか作れます。
一つ目は、「オタクそのものが気持ち悪い」と感じていること。でもこれだと、庵野と一緒にイデオンとかを見るはずはない。だから違う。2つ目は、「周りからオタクとして見られたくない」というもの。これも一つ目と同様にそうならば、庵野と一緒に仲良くしない。3つ目は、「周りのオタクが濃すぎて、オタクと名乗れないし(※逆に言えば、名乗る必要もない)」というもの。周りのオタクを不快には思わないけど、オタク的知識量に愕然たる差があるから名乗れない。映像業界において、PANも知らなきゃダメなのと同じです。僕は、これだと思うんです。
僕がアニメを本格的に見出したのは、ここ数年のことです。 時折コメント等で褒められたりもして嬉しいんですが、自分の中にある知識・情報・常識みたいなものが少なすぎて不安で不安で仕方なかったんです、ホントに結構最近まで。 特に、身近にいる人達(ネットでもリアルでも)が未知の言葉をしゃべっている時は、本当に大丈夫かと思っていたんですよ。また調べれば調べるほどに、自分の中の知識量の少なさに愕然とするんです。つまりは、知識的コンプレックスですね。こういう人は僕だけでしょうか?結構多いと思うんですよ。
まあ、山賀さんが知識的コンプレックスを持っているとは全然思いませんが、周りに濃いオタクがいるという部分が似ているのは確実です。でも山賀さんはそこら辺の処理の仕方が上手い。相当に賢い方だと思うので、早々にオタク知識を追い求めるなんてことは初めからしてないんですよ。そうじゃなくて、客観的にオタクというものを見れるから、オタク的・アニメ的要素を作品の中で上手く使おうとしたんです。
「王立」や「ポケ戦」のイメージが強すぎて、僕らは「山賀は結構渋めの作品を作るんだ」という認識なんですが、実は違う。あくまで、作品のコントロールとして、ああいった渋めの作品を作ったというだけなんです。また流行を上手く使える人でして、美少女ものが廃れてきたら、カウンター的に「まほろまてぃっく」を作ったり、逆に魔法モノが流行っていれば、「アベノ橋」を作ったりできる人なんです。
自分の趣味性・利己性(自分の好きなモノ・やり方を全面に出す)を存分に出すのがスタンダードになっている映像業界では異色とも言えるほど、山賀はクレバーです。ユーザーはどんなの求めてるのかなとか、こういうことやったらお客は喜ぶだろうとか、オタク的要素をテクニックとして使う。例えれば今敏のコンテの切り方みたいに、「別にこういうやり方もあるでしょ」という飄々とした感じで、自己の趣味性・嗜好性を廃したオタク的要素を手法として使う。オタクじゃないのに!
さらに言うと、それが見る側には分からないのが凄いと思いませんか?「あ、オタク受け狙ってる」とか「媚び売ってる」とかそういう辛辣な評価を受ける作品ってよく見ますけど、山賀の作品にはほとんど見ない。むしろ、僕らは山賀の作品を山賀がエゴで作ってるんだと完全に騙されてるんです。作者の意図というのが、おぼろげにしか見えないのは凄い。
オタクをバカにするわけでもなく、かといってオタクを美化するわけでもない。率直にオタクの収集等への執念、知識への病的なこだわり、コスプレの気持ち悪さをきちんと描写する。時折挿入される実写パートはオタクの本質的な描写に役立ちます。だって「オタク」って現実にいる人ですもんね。そして、僕が「おたくのビデオ」で一番すげえと思うシーンは次のシーンです。
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先程も出ました。これはアニメ映画を待っているシーンです。公開日に並んでいち早く見たいというオタクの描写です。
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そこに「あっち側」の人間が来る。「お前ら他に楽しみないの?」とバカにしてくる。
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で、「おたくにゃ関係ねーだろ」と田中だけが言い返す。「おめえらみたいなのは暗いんだよ」と言いつつ、酔っぱらいは、去っていく。「仕方ないよ酔っぱらってるんだから」と久保は言う。
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その後に、仲間の一人が設定集をゲットして持ってくる。そんでもって、皆大喜び。
背筋がゾクゾクするほど素晴らしいんですよ、ここが。分かるかなあ。
これは、岡田斗司夫とかオタクでは絶対出せないテイストなんです。
「あっち側」の人間のナチュラルな見下し加減もそうなんですが、こんだけカチンとくることを言われてるのに、田中以外誰も文句を言わない。これは、自分たちオタクが偏見を抱かれる存在だということを自覚してるから文句を言わないんです。田中はオタクが偏見を抱かれるなんておかしいと思ってる。岡田斗司夫みたいなもんです。でも、久保とかその隣の女の子とかは「オタク」ってことが世間から見ればおかしいことは十分理解してるから言い返せない。
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だけど、その後アニメ設定集が来ると、おっさんに文句を言われても微動だにしなかった行列のオタクが一斉に飛びつくんです。好きなモノに対する喜び方や飛びつきは見てる側もオタクですから、「こいつらも好きだなあ」というのが普通の感想としてまずあります。ですがそれと同時に、文句を言われた時にはぴくりともしなかったオタクたちが、自分が好きなものにはすぐ反応して、じっくりと眺めて執着するという描写で、潜在的な犯罪の匂いをほんの少しだけ醸し出してるんですよ。
この1シーンで、当時出したかった、「オタク」「オタクバッシング」「俺たちも宮崎勤と同じなんだよ」というテイストを全て、それとなしに出しているんです。だから、僕は山賀博之を天才だと感じたんです。すごすぎる。客観的なオタク分析、時代分析、主観的な思い、どれをとっても考え方と表現の仕方が上手い。
こんな山賀さんだからこそ、周りのオタクと、その事件が起きた時代と、オタク業界内でのバッシングとか色んなものを客観的に見て、もやもやする主観的な感情を「おたくのビデオ」を落とし込めたんです。他の人だと、例えば庵野秀明だと、エゴ全開ですから自分も含めたオタク叩き一色になりますよ。
リファレンス:「この人に話を聞きたい(2002年6月号 vol.288)」
:「GX ANIME EXPRESS 『蒼きウル』直撃インタビュー」
:「遺言(岡田斗司夫)」
:「王立宇宙軍(オーディオコメンタリー 山賀・赤井)」
こんなね、技術的な天才が作る『蒼きウル』が面白くないはずがない。早く見たいです。
えーとですね、まず僕は『彼氏彼女の事情(98)』の大ファンであって、アニメから原作単行本を購入するに至るぐらい好きな作品なんですね。そんで、先日知人から「異能バトルがカレカノっぽいよ!」と言われたのが、視聴のきっかけです。最初の方の話数では、その異能バトルにおける「カレカノっぽさ」というのは、あまり感じなかったんですね。キャラの掘り下げ方は確かに「カレカノっぽいなあ」という程度。それぐらいの感覚で、「うーんまあ少しカレカノっぽいかなあ」の認識でした。
まず前提として、「異能バトル」の魅力として確実にあるのは、大地コンテの良さですよね。
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(『異能バトル』02.04話 大地コンテ回)
ここは、「異能バトル」見てる人みんな相違ないと思う。だから、「カレカノっぽさ(90年代のガイナっぽさ)」=大地さんかと思った。大地さんは、緩急のついたカット割り、テンポが良いギャグシーンでは直感的な普通の構図で漫画的表現を多く入れて、逆にシリアスな場面では俯瞰アングルや逆光の使用で演出します。こういったのが、僕が感じる「カレカノっぽさ」かなあと眺めてた。
ですが、06話見ると、考えが全くとして変わったんですよ。びっくりするほど。
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(『異能バトル』03.06話 小倉コンテ回)
『異能バトル』の魅力=90代のガイナ的な魅力=大地コンテ、かなあ思ってたんだけど、03.06話(特に06話)を見ると、考えが変わりました。大地コンテの面白さは当然あるんだけど、「カレカノっぽさ」という観点においては、そういった部分は小倉陳利・大塚雅彦から発生してる気がしたんです(※高橋・清水コンテもいい感じなんだけど、ここでは割愛)。小倉コンテ、大塚演出ですね。ここから発生している気がする。
小倉さんは、『彼氏彼女の事情』において初コンテを担当し、平松禎史、高村和宏さんと共に活躍された人です。『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』においては、磯パートの後(※弐号機にロンギヌスの槍がグサグサ刺さる所)を担当したりとアニメータとしても凄い方です。安藤健・大塚雅彦(現:トリガー代表取締役)さんは、同じく『彼氏彼女の事情』において、演出を6話数ほど担当し、同作品の作風を支えました。
(0)、そもそも「カレカノっぽさ」ってなんなのか。
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大量のモノローグを退屈にしないカット割りや、フランクな心情をそのまま示す直接的な映像だったり、作画負担が多いわけではないのに自然と絵に没入できるというか、反転画像などトリッキーで実験的な映像などが挙げられますが、一番は独特のキャラクターの掘り下げ方(※キャラクターに内在する弱い側面の描写)ですね。こういうのが「カレカノっぽさ」と考えてる。
今回、『異能バトル』から漂う「カレカノっぽさ」を考えるため、『カレカノ』小倉コンテ回だけ見直しました。その上で、『異能バトルは日常系の中で 06話』と、『彼氏彼女の事情 02話』を比較しながら、小倉演出・コンテについて自分なりの考えを説明していきたいと思います。
まずは、ボクが思う小倉コンテ、大塚演出の具体例を箇条書きでダダっと。
(1)構図の手法
横顔ドアップ抜きで口元(感情)隠す
同ポ、ポン寄り、その逆の多さでテンポを出す
(2)止め絵の手法
バンクの積極的使用
顔隠しの絵作り
(3)深刻なシーンの描き方
シリアスな場面を直接的に描写
回想シーンのインサート方法
それぞれ、以下で説明していきます。
(1)構図の手法
(a)横顔ドアップ
小倉コンテでは、日常の些細な事象、キャラクターの心に内在する感情の機微な表現をまず、平面的な構図で演出します。特徴的なのは、こういった横顔ドアップのカット。
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(『彼氏彼女の事情』02話)
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(『異能バトルは日常系の中で』06話A)
こうした横顔ドアップが非常に多い。(ここでは載せていませんが)『彼氏彼女の事情 12話』では、口元を隠すぐらいまで寄るカットもあり、キャラクターの感情表現において最も重要であろう「目」「口」を画面外に出す。画面外に出すことで、キャラクターの心理は視聴者に委ねられる。つまり、想像力を喚起させるような演出をしているということです。
(b)同ポ(同ポジション)・ポン寄りの多用
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(『彼氏彼女の事情』02話B)
これは一連のカット(※一部短いショットは省略)です。宮沢が有馬に未経験の感情を抱き始めているシーン。同ポとは、同じポジションでのカットのこと。そのまんまですね。そして、そこからのポン寄り(キャラへの寄り)をして、また同ポに帰ってくる。こういうカット割り構成がまたしても多い。
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![18]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/c/a/cad4e95c-s.jpg)
(『異能バトルは日常系の中で』06話A)
これはサユミさんの妹マイヤと電話をして、サユミさんの中学生時代の情報を集めてるシーン。サユミさんの不機嫌さの原因を究明しようとしてる。べつだん難しい構図を使用するわけでもないのに、同ポとポン寄りの使用で、テンポが良くなる。それぞれ、途中に回想の短いカットを挟んだりしてスピード感を増すが、最終的には元ある構図へと帰ってくる。ただ近年は、OL(オーバーラップ)の効果も追加されていることが多い。
次は、(a)(b)の応用例。
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(『彼氏彼女の事情』02話Bラスト)
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![47]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/c/2/c2492255-s.jpg)
(『彼氏彼女の事情 02話』Bラスト)
横顔ドアップ+3段階のポン寄り。ここでは構図は全く変わっていない。最初は、客観的であった画面がどんどん主観的になっていくのが分かるだろうか。有馬という人物に対して、視聴者が最初は観客として見ていたが、同一化して、有馬と近い感情になっていくことが分かる。2つ目は、画面的なカッコよさの演出。
(2)止め絵の手法
(c)半分顔隠し・カゲ付けの進化
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![14]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/b/4/b42d7187-s.jpg)
(『彼氏彼女の事情』02話Aラスト)
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![52]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/2/a/2a6858b1-s.jpg)
(『異能バトルは日常系の中で』 06話Aラスト他)
これは(1)と通じるところが多いですね。見る側の想像力にお任せ、という感じの演出。だけど、「異能バトル」ではその演出が少し現代風に進化していて、まあこういったのは小倉コンテ限らずよく見るんですが、目より上にカゲを落とすってヤツですね。これを(1)と併用したりもする。『カレカノ』みたいな、キャラ顔前アップ画面もいいんだけど、もっと現代風なスマートな表現に昇華されていますよね。
(3)深刻なシーンの描き方
(d)直接的な感情(エゴ・内在する弱い側面)描写
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![14]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/1/9/19f99d68-s.jpg)
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(『彼氏彼女の事情』02話Bラスト)
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(『異能バトルは日常系の中で』06話AB他)
エゴ、自己に対する言及、正直な気持ちの独白について。小倉コンテでは、『新世紀エヴァンゲリオン』のような直接的な描写をします。こういった直接的な描写は、モノローグが多くなる少女漫画では、顕著に見られます。だけど、アニメでこれを再現しようと思うと難しい。「こいつはペラペラ喋るキャラ」とばかり認識されてしまう可能性も少なくないからですね。
「私のどこがおかしいのよ(カレカノ)」「私はみなさんの能力が怖いんです(異能)」とか、そういった自分の存在に対する問いかけや、自分の正直な(恐怖や心配といった)弱い気持ちの吐露というのは幼稚でかっこわるいような描写と見受けられがちです。しかし、こういった深刻な描写は思ったよりも大事なんですよ。キャラクターというのは、いつも強い存在で描くと、立体的になり得ません。それは、現実には、いつも強く明るい人など存在しえないからです。
以上の3点。1、構図(ポン寄り、その逆、同ポの多使用)。2、止め絵(顔隠しによる想像力喚起)。3、弱い側面の直接的な描写。これらに、小倉コンテ、ひいては「カレカノっぽさ=90年代ガイナっぽさ」が起因しているのではないのかと考えました。
簡潔にまとめると、バンクと同ポ、ポン寄りだけで、お話を展開させて、しかも面白くしてるトコに凄みを感じます。予算や時間も少ない中、こういった作画負担を軽減するようなコンテ・演出というのは、『新世紀エヴァンゲリオン』『彼氏彼女の事情』などでは多く見受けられ、今回の『異能バトルは日常系の中で』でも意図的な作画リソースへの配慮を感じます。何よりも一番、難しい構図なんていうのは殆どないんですよ。それがスゴイ。
といった感じです。小倉、安藤、大塚さんは、庵野・鶴巻といった「ガイナ」の遺伝子を受け継いでいるように感じます。ガイナックスファンは見たほうが良さげな気がしますよ。それぐらい、この『異能バトル』は普遍性を持つ良い作品になり得えると思っています。
「おたくのビデオ」に感じる山賀博之の天才性
![17]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/9/a/9adefbb6-s.jpg)
「遺言」の中の1節で、「おたくのビデオ」に触れていたりして存在や内容は知ってたんですけど、そんな語ることもないんじゃないのかなあと感じました。が、ちょっと気になったことがあったので。(※この記事における引用は、特に注釈が無い限り「遺言」からです。)
まあ、どんなお話かをかいつまんで言うと、主人公・久保っていうオタク的なものには興味がなかった学生が、アニメとか特撮にハマっていくうちに、女の子に振られるのを機に真のオタクを目指すって話なんですね。作品自体の面白さとか、そういうのはあまりないんですが、制作背景とこの話を山賀さんが作ったこと、この2つから興味が湧きました。
岡田脚本とクレジットされていますが、「遺言」によると、全体の構成等「テニスをしている主人公が、オタクになっていって、女の子に振られる」といった基本的なプロットは山賀。
![29]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/c/d/cd111b08-s.jpg)
『オタクのビデオ』もやっぱり山賀くんの「隠したい歴史シリーズ」です。ほんとにね、あの野郎、自分がやった作品は自分がやったと言えよ。あの話は、僕のリアリティじゃないです。 僕は考えると主人公はテニスとかやっていて、普通にガールフレンドもいるなんてことにはならない。オタク活動をどんどんすることによって、テニスをやっている女の子にフラれてしまうってんですけど、ここが僕と山賀くんの差なんでしょうね。岡田斗司夫のリアリティは、「おたくのビデオ」には出ていない。これは、ガイナックスの庵野とかオタク組から離れたところにいる、山賀博之という男が客観的にオタクというものを見つめた作品なんですよ。つまり、山賀のリアリティが出ている。岡田斗司夫が作ると、オタクになる主人公に彼女なんてそもそもいらないだろうし、いたとしても次の引用文のように、「そんな女は必要ない!」という風になる。
![47]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/5/8/583bb791-s.jpg)
山賀くんが書いた脚本を見たら、テニスボーイの主人公は、だんだんとオタクになってしまい、その結果彼女が去ってしまうと書いてある。俺これがもう分からん。「テニスをやっているときは付き合ってたのに、アニメの上映会にしょっちゅう行くオタクになったら振ってしまう女?そんな女は最初からいらーん!」て思っちゃうんですよね。岡田斗司夫のリアルとしては、「オタクだったら彼氏にするのは嫌?ならそんな女はいらん!」なんですが、山賀のリアルは「オタクに不気味や恐怖といった感じを抱くのは分かる。でも、そこまで言うことはないじゃん」なんですよ。それは、「オタクは、偏見を抱かれる」ということを実際に山賀さんは実によく知っているし、自分自身も偏見を抱いていたからなんです多分。
ここで少し、「遺言」の引用から、この時代の背景を見てみます。ちょっと長いんですが、後半にも大事なので概要だけでも掴んでくださいね。
(『おたくのビデオ』を)作るきっかけになったのは、ある大きな事件です。1989年、後に、「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」として知られるようになる大事件。本棚いっぱいにビデオカセットが何千本とある部屋なんですけど、(中略)僕とか、スタッフの部屋とまったく同じ。
(中略)
事件の発覚直後、オタク業界内から「あんな奴はオタクじゃない」というバッシングが起きました。と同時に、オタク内でのオタクのバッシングが始まったんですよ。
(中略)
(ガイナックスやゼネプロという組織の中ですら)おたくに対して「いやもうおたくは嫌ですよ」とか「おたくは汚らわしいですよ」とか言う人もいる。かと思えば、僕や山賀君みたいに「いやーでも俺たちもおたくで、俺達と宮崎勤を隔ててるのはものすごーく薄い線で、それはある犯罪をするかしないかという点だけ」
「宮崎勤事件」という幼女を連続して殺害した事件。その犯人が宮崎勤がオタクであったという点。それによる世間からのオタクバッシング。そして、俺らも同じオタクじゃないかという問題。その問題に対して、「あんなのは俺たちと同じではない」っていうオタクによるオタクのバッシングと、オタク自体を気持ち悪いものとみなすオタク差別が起きた。だけど、岡田みたいに、「俺たちと宮崎勤の差なんて殆どないんだ」という考えを持つ人もいた。こんな感じです。
では、作品に入って行きましょう。
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1991年。主人公は、この時点で既にオタク。時系列をごちゃまぜにしているので、これは既に会社を作って左遷された後の久保くんです。
「マイティジャックのTシャツありますか?」って聞かれて、主人公が「ないです、ないです」って電話をガチャンと切り、「おたくはやだねえ」ってつぶやくわけです。オタクによるオタクのバッシングを表現してるのがここ。今で言うと同族嫌悪みたいなもんで、自分もそういうオタク的なことをやるから分かるんですね。本来的には、自分もオタクなのにオタクを嘲笑するという構造を取り入れてる。今でこそ珍しくないと思うんですが、当時としてはこういう考え方は斬新だったように思う。
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![32]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/a/e/ae66c0ac-s.jpg)
話は戻って1982年。テニスやってる主人公は、まだアニメや特撮になんて全く興味が無い。そんで付き合ってる彼女もいる。つまり、「あっち側」にいるというわけです。(※「遺言」内で出てきた、「こっち側」「あっち側」の考え方を流用。「こっち側」というのは、オタクサブカル方面の人たちで、「あちら側」というのは、普通の人、上流階級、今の言葉で言うとリア充なんかを指す」)
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でも、久保は飲み会とかも行くけど、決して全力で楽しめてない。場の雰囲気には合わせてるけど、他のメンバーみたく飲んでワイワイというのも性に合わないんだろうし、雰囲気を好んでない様子が伝わってくる。 周りに合わせるのに必死というわけでもなく、なんとなく「これって楽しいのかなあ」という風に考えてしまっている。客観的に、外から冷めた自分を見つめてしまっている。人気者でもなければ、それに付いていく金魚のフンでもない。どちらでもない所に久保はいるのです。
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で、オタクの人たちとの最初の出会い。見たら分かる通り、「なんだこいつらは」と異物的に考えてるのが伝わってくるし、相手の話し方や動き方を見て嫌がってる。つまり、ここでは普通の人がオタクに異常者という偏見を抱いている図。ストーリーとしては、その中に友人・田中がいた。
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そして自分の大学祭で、田中たちが同人販売をしているのを目撃する。ここでもまだオタクに対する色眼鏡はとれていない。おかしな奴らが、おかしな事をしている。変な奴らに対する恐怖さ・不気味さと、それ(同人、コスプレ)を理解できない未知的な恐怖とが一緒くたになって久保を襲っている。「こっち側」に対する偏見は強くなっているが、「こっち側」の世界の実情を知りつつもある微妙な状況。
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田中との昔話も経て、オタク(同人メンバーが集まる)の部屋へ。最初は異常だと思っていた「こっち側」の世界を目の前にし、少しずつではあるが理解し、子供のころ見たアニメなんかを中心に楽しみや魅力を見出しつつある。その後、彼女と話すときに、もう既にどっぷりと「こっち側」に浸かってることが分かる。久保がオタクになった原因としては、山賀博之の思考に見いだせるものがある。
山賀君が書こうとしたのが、そういう「僕たちオタクやサブカルは『こっち側』であり、『あっち側』から追われた存在だ」というお話です。
次の場面、映画を待つ久保達と酔っぱらいの絵は、この構図を端的に、それも刺々しく表している。
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ここでは、あからさまにいい女が「あっち側」の世界にいることを示している。女だけではなく、いい男もあっちの世界には多くいるのだ。それは単純に見かけだけではなく、性格や社交性なんかもそうだと思う。一般の社会から拒絶された(自分には合わない)と感じ、行き場を失った人が辿り着くのが「こっち側」。「あっち側」には合わないのか、はたまた適応したくてもできないのかは分からないけど、そういった人たちが来るという点は納得ができる。つまり、この画像がすべてを表しているといっても過言ではない。

オタクはなるべくしてオタクになった。普通の社会で生きようと思えばできなくはないが、人にはそれぞれ好みがある。インドアな人もスポーティな人も、みんなどこかで本当の楽しさ・人生の幸せを見つけよう努力を繰り返している。どっちの世界がより優れているかという優劣みたいなものはなく、合うか合わないか、ただそれだけ。でも、「こっち側」の人が「あっち側」に対する羨望や恨みつらみを感じているのは間違いない。これは、理屈ではなく、「こっち側」にいる人しか分からない感情だと思う。ワイワイするのが性に合わない自分に対する社会不適合感にさいなまれるとか、多人数での飲み会とか遊びとかに楽しさを感じているのか分からないとか、そういうもの。
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この後主人公の久保は、オタク活動にますます精力的になり、結果彼女に男ができ振られる。そうして、「テニスやってる奴はよくて、アニメやってる奴はダメなのか」と卑屈に嘆く。ここに、山賀のオタクに対する考えを感じます。オタク(庵野)ってキモいとこもあるかもしれないけど、接してみると分かることもあるよと。実際に、彼女はオタクを知ろうとしませんが、久保は恐れながらもオタクを知ろうとしています。
脚本的には、振られたことを機に真のオタク、オタキングになることを決意して、2作目に繋がる。正直に言うと、2作目は触れるポイントが少ない。なぜかというと、岡田斗司夫の人生に脚色を加えただけだから。久保は、会社を作り成功するが、銀行マンに嵌められ左遷される。無職になった田中と再び出会い、新会社を作り今度こそオタキングとなる。触れるべきポイントは、元彼女への執着、福原という女の子の存在、オタクは一生オタクであるということぐらいだと思う。
そんで、本題にいきます。
僕は、「おたくのビデオ」を見て、山賀という存在について考えるべきだと感じました。山賀博之というと、「ウル」の制作が再びスタートしたけど、「王立」「まほろまてぃっく」「アベノ橋☆魔法商店街」といくつも監督をやっておきながら、ガイナックスでは地味な存在だと思う。しかし、山賀は庵野・赤井と並んで天才であるし、取り上げるべき人であると思ったんです。
ガイナックスで、岡田斗司夫や庵野秀明といった濃いオタクに囲まれながら、脚本を書いたり、企画を立てたりする、山賀博之という存在。「オタクが当たり前」いうガイナックスの中で、オタクでない山賀博之の存在とはどんなものなのか、どんな人なのか。
僕自身、山賀について知らないことも多かったので、今回知人を通じて、色々と情報を得ました。でも、とりあえずは、「遺言」における岡田斗司夫からの目線で山賀を見てみましょう。
山賀君はどちらかと言うとオタクを自分とは関係のない存在だと思って見ています。でも。僕から見たら山賀君は十分オタク仲間なんですよ。周りから見れば、山賀はオタク。でも本人としてはオタクではない。
(画期的なアイデアを山賀が思いついた後で)「さっすが山賀君!」と僕は思いましたね。それまでは散々「俺はこんな所にいて気持ちよくないんです。僕はオタクじゃないから。僕にとって毎日はほんとうに嫌なんです」って言ってたくせに。
「なぜこんなに面白いことを考えてこれるんだよ。馬鹿野郎!山賀、おめえ、完全にオタクだよ!俺達の仲間だよ!全然分かってないよ!」って怒鳴っちゃいましたよ。
これもまた本人と他人から見た時の認識のズレ。ここでは、「オタクじゃない」と主張する理由がいくつか作れます。
一つ目は、「オタクそのものが気持ち悪い」と感じていること。でもこれだと、庵野と一緒にイデオンとかを見るはずはない。だから違う。2つ目は、「周りからオタクとして見られたくない」というもの。これも一つ目と同様にそうならば、庵野と一緒に仲良くしない。3つ目は、「周りのオタクが濃すぎて、オタクと名乗れないし(※逆に言えば、名乗る必要もない)」というもの。周りのオタクを不快には思わないけど、オタク的知識量に愕然たる差があるから名乗れない。映像業界において、PANも知らなきゃダメなのと同じです。僕は、これだと思うんです。
僕がアニメを本格的に見出したのは、ここ数年のことです。 時折コメント等で褒められたりもして嬉しいんですが、自分の中にある知識・情報・常識みたいなものが少なすぎて不安で不安で仕方なかったんです、ホントに結構最近まで。 特に、身近にいる人達(ネットでもリアルでも)が未知の言葉をしゃべっている時は、本当に大丈夫かと思っていたんですよ。また調べれば調べるほどに、自分の中の知識量の少なさに愕然とするんです。つまりは、知識的コンプレックスですね。こういう人は僕だけでしょうか?結構多いと思うんですよ。
まあ、山賀さんが知識的コンプレックスを持っているとは全然思いませんが、周りに濃いオタクがいるという部分が似ているのは確実です。でも山賀さんはそこら辺の処理の仕方が上手い。相当に賢い方だと思うので、早々にオタク知識を追い求めるなんてことは初めからしてないんですよ。そうじゃなくて、客観的にオタクというものを見れるから、オタク的・アニメ的要素を作品の中で上手く使おうとしたんです。
「王立」や「ポケ戦」のイメージが強すぎて、僕らは「山賀は結構渋めの作品を作るんだ」という認識なんですが、実は違う。あくまで、作品のコントロールとして、ああいった渋めの作品を作ったというだけなんです。また流行を上手く使える人でして、美少女ものが廃れてきたら、カウンター的に「まほろまてぃっく」を作ったり、逆に魔法モノが流行っていれば、「アベノ橋」を作ったりできる人なんです。
自分の趣味性・利己性(自分の好きなモノ・やり方を全面に出す)を存分に出すのがスタンダードになっている映像業界では異色とも言えるほど、山賀はクレバーです。ユーザーはどんなの求めてるのかなとか、こういうことやったらお客は喜ぶだろうとか、オタク的要素をテクニックとして使う。例えれば今敏のコンテの切り方みたいに、「別にこういうやり方もあるでしょ」という飄々とした感じで、自己の趣味性・嗜好性を廃したオタク的要素を手法として使う。オタクじゃないのに!
さらに言うと、それが見る側には分からないのが凄いと思いませんか?「あ、オタク受け狙ってる」とか「媚び売ってる」とかそういう辛辣な評価を受ける作品ってよく見ますけど、山賀の作品にはほとんど見ない。むしろ、僕らは山賀の作品を山賀がエゴで作ってるんだと完全に騙されてるんです。作者の意図というのが、おぼろげにしか見えないのは凄い。
オタクをバカにするわけでもなく、かといってオタクを美化するわけでもない。率直にオタクの収集等への執念、知識への病的なこだわり、コスプレの気持ち悪さをきちんと描写する。時折挿入される実写パートはオタクの本質的な描写に役立ちます。だって「オタク」って現実にいる人ですもんね。そして、僕が「おたくのビデオ」で一番すげえと思うシーンは次のシーンです。
![15]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/b/d/bd8f8711-s.jpg)
先程も出ました。これはアニメ映画を待っているシーンです。公開日に並んでいち早く見たいというオタクの描写です。
![19]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/2/c/2cbda91f-s.jpg)
![42]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/6/2/628b817d-s.jpg)
そこに「あっち側」の人間が来る。「お前ら他に楽しみないの?」とバカにしてくる。
![40]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/0/7/07d3ab7f-s.jpg)
で、「おたくにゃ関係ねーだろ」と田中だけが言い返す。「おめえらみたいなのは暗いんだよ」と言いつつ、酔っぱらいは、去っていく。「仕方ないよ酔っぱらってるんだから」と久保は言う。
![42]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/0/c/0c5483ff-s.jpg)
![44]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/c/1/c11c7d1d-s.jpg)
![05]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/0/1/014271e5-s.jpg)
![10]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/a/8/a87e525c-s.jpg)
その後に、仲間の一人が設定集をゲットして持ってくる。そんでもって、皆大喜び。
背筋がゾクゾクするほど素晴らしいんですよ、ここが。分かるかなあ。
これは、岡田斗司夫とかオタクでは絶対出せないテイストなんです。
「あっち側」の人間のナチュラルな見下し加減もそうなんですが、こんだけカチンとくることを言われてるのに、田中以外誰も文句を言わない。これは、自分たちオタクが偏見を抱かれる存在だということを自覚してるから文句を言わないんです。田中はオタクが偏見を抱かれるなんておかしいと思ってる。岡田斗司夫みたいなもんです。でも、久保とかその隣の女の子とかは「オタク」ってことが世間から見ればおかしいことは十分理解してるから言い返せない。
![42]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/6/2/628b817d-s.jpg)
![10]](https://livedoor.blogimg.jp/ouritu_dora/imgs/a/8/a87e525c-s.jpg)
だけど、その後アニメ設定集が来ると、おっさんに文句を言われても微動だにしなかった行列のオタクが一斉に飛びつくんです。好きなモノに対する喜び方や飛びつきは見てる側もオタクですから、「こいつらも好きだなあ」というのが普通の感想としてまずあります。ですがそれと同時に、文句を言われた時にはぴくりともしなかったオタクたちが、自分が好きなものにはすぐ反応して、じっくりと眺めて執着するという描写で、潜在的な犯罪の匂いをほんの少しだけ醸し出してるんですよ。
この1シーンで、当時出したかった、「オタク」「オタクバッシング」「俺たちも宮崎勤と同じなんだよ」というテイストを全て、それとなしに出しているんです。だから、僕は山賀博之を天才だと感じたんです。すごすぎる。客観的なオタク分析、時代分析、主観的な思い、どれをとっても考え方と表現の仕方が上手い。
こんな山賀さんだからこそ、周りのオタクと、その事件が起きた時代と、オタク業界内でのバッシングとか色んなものを客観的に見て、もやもやする主観的な感情を「おたくのビデオ」を落とし込めたんです。他の人だと、例えば庵野秀明だと、エゴ全開ですから自分も含めたオタク叩き一色になりますよ。
リファレンス:「この人に話を聞きたい(2002年6月号 vol.288)」
:「GX ANIME EXPRESS 『蒼きウル』直撃インタビュー」
:「遺言(岡田斗司夫)」
:「王立宇宙軍(オーディオコメンタリー 山賀・赤井)」
こんなね、技術的な天才が作る『蒼きウル』が面白くないはずがない。早く見たいです。
「Z会クロスロード(CM)」つづき
ちょっと他のカットも
(※ページが重い人は、タイトルクリックでこの記事のみ表示したらマシかも)
自転車で坂を登る
同スロー
ハンドルを握る手にギュッと力を感じますね
ペダルを踏み込む時に、右半身を後ろに引っ張るのも細かい
後は、ペダルを踏み終わって、一息つく頭の下がり方がすげえ
背伸びとジャンプ
右見て、左見て、みんなが集まってて見えないのでジャンプ
男の子の方は若干気を使った感じの仕草
というかジャンプをしても見えないと思うので、少しは待ったらどうなのか
差し込む光の特効が綺麗で、ちょっとボカシを入れたりも
髪バタバタ
なんとなく印象に残ったので
見る限りリピートではなくて、手が込んでるなあと
何気に制服のシワもいい感じ
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自転車で坂を登る
同スロー
ハンドルを握る手にギュッと力を感じますね
ペダルを踏み込む時に、右半身を後ろに引っ張るのも細かい
後は、ペダルを踏み終わって、一息つく頭の下がり方がすげえ
背伸びとジャンプ
右見て、左見て、みんなが集まってて見えないのでジャンプ
男の子の方は若干気を使った感じの仕草
差し込む光の特効が綺麗で、ちょっとボカシを入れたりも
髪バタバタ
なんとなく印象に残ったので
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