今更ながらようやく。別件で触れる機会があり、重い腰を上げ見た次第。
主人公・スバルは、コンビニ帰りに突拍子もなく異世界へと飛ばされる。異世界でチンピラに絡まれているところを謎の銀髪少女に助けてもらい親睦を深める。ごたごたを繰り返しながらも、己のもつ変わった力で苦難を乗り越えていく。といった話。
巷ではスバルは「性格が悪い・クズ」と評判でしたが、そうとは思えなかったなあ。彼自身が死んだときに、「死に戻り」をするタイムリープ能力が発現する。この「死に戻り」のキモは、「他者にその能力のことを話すことができない」ということですよね。このことによって、彼は彼一人で問題に対処しなければいけない。少なくとも、精神的には相当キツイはず。
とあれば、13話ラストのスバルの感情爆発は受け入れられる。
少なくとも、性格クズとかいう評価にはならない。エミリアは「また何も言ってくれないの・・・」「言ってくれなきゃ分からない」とスバルに連言するわけですが、彼は死に戻りについて喋ることができない。死に戻りによって回避した残虐な結末に至るまでの「過程」をスバルはすべて持っていますが、他の人達は覚えていない。このような状態において理解者を求めるのは当然です。しかし、エミリアによって、主従の関係も理解も否定されてしまった。ここで彼の精神は限界を迎えてしまった。
異世界に来てからスバルは自分の存在意義を、「エミリアを救うこと」に見出すしかなかった。そういう点で、感情の爆発に至るのは、当然だとおもう。少なくとも、自分ならそうなってしまう。エミリアに対して、あの状況に至り、それでも優等生のように、あるいは無機物のように感情やエゴを出さない方がよほど変に感じる。エゴをぶちまけるのを見て、なんで性格悪いとなるのかよく分からない。こういうのを見ると、毎度毎度思い出す記事があります。
アニメ視聴をつまらなくする傾向について-大匙屋
「こんな醜態を晒すヤツは嫌だ」っていう変な感情がですね、受け手側にあるんじゃないのかな。だってみんなも醜態は晒してきたはずでしょ?無様な正当化も、八つ当たりもしてきたはず、それなのにスバルを「性格クズ」とかいうのは言語道断だと思う。
僕はこれを「イイコイイコちゃん現象」って呼びたいんですけどね。みんなイイコイイコ、優等生として見られたい。そういう願望をアニメを見る際に持ち込んでしまう。つまりは、エミリアに対して、スバルみたいに傷つけたり、エゴをぶつけたりする人物にはなりたくない。彼の醜態を見たくない。そんな気持ちがあるが故に、「スバルはクズ」と評価を下してしまう。それはなんというか、キレイなところしか見たくない、みたいな部分に繋がりますよね。
さて、本題に戻ります。
これから数話に渡って、スバルが「解決することを諦める」のも然るべきかなと。彼は絶望してしまった。最大の理解者に拒まれたわけですから、そうなるのも当然。レムに対する逃避行の提案も、彼が抱えてきた精神的な負担を見ると、とても理解できる。だから、原作においてもアニメにおいても、レムが人気になる理由はよく分かりますよね。世の中の誰にだって「話せないなにか」はあるはずで、それ込みでレムは理解をしてくれた。
こういう言い方はあまり好みませんが、スバルは「シュタゲ無印において、牧瀬紅莉栖がいないオカリン」だと思えば理解は速い。あの聡明なクリスティーナがいない、助けてくれる人がいない、その辛さは想像に難くないハズ。スバルくんに対する僕の見方はこんな感じです。
物語の方ですが、まあこっちはあんまり言うことがない気がします。
4つのブロックに分けることができます。
1、盗品エルザ編
2、ロズワール邸編
3、白鯨編
4、ベテルギウス編
当時の既刊は9巻で、そこまでをアニメ化。いろいろ伏線は敷いているけれど回収できるわけもないので、とりあえずエミリアとの誤解を解きラブラブチュッチュするまでを描きたかったと思う。いちばん力を入れたのは、絶望に至るまでのスバルの行動とそこからの再起、あと白鯨戦ですね。
白鯨戦はぶっちゃけなんだろう。なんか物足りなさがあったなあ、ここは絶対見せ場ですので。400年苦しめられてきた、14年間妻への復讐に待ち焦がれた、そういったのはもう僕の勝手な願望・欲望ですけれど、もっと狂気に染まったものを見せられると思っていたので。全体的にヴィルヘルムよりレムが強く見えちゃうのは正直いただけない。
20話の滑走後の初撃は良かった。うまかった、タイミングがとくに。
作画的にはラスト25話の田中宏紀作画でしょう。後日、余裕があれば。
あとリゼロでは、こういった演出がよく見られた
これがキャラの情緒表現でよく使われていた印象
顔が隠れた部分からスタートするので、なんかうまいこといくんでしょうね